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意志とは何か?

毎日小学生新聞2月13日付けの内山節(たかし)さんの記事から。

内山節さん。哲学者、NPO法人·森づくりフォーラム代表理事。森林づくりの活動に関わり、群馬県上野村の山村留学施設「かじかの里学園」の学園顧問でも在られる。
いつもはこの「かじかの里学園」の活動が中心の記事なのだが、今回は哲学がテーマで興味深かったので簡単に取り上げる。

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人は誰でも自分の考えを持つが、はたして自分の考えとは何か?

いまから150年前にショーペンハウエルというドイツの哲学者がいた。彼はたくさんの本を読むことは良いことではないと言っていた。
それは本の書かれていることに影響を受けてしまい、その本の考え方が自分の考え方のようになって、自分ならではの考え方を作る能力が低下するからと述べている。
彼は本を読むことを否定していたのではなく、読みながらじっくり考えられるような本を読みなさいと述べた。
それにより思考力を低下させないで自分の考えをつくることができると。

自分の考えだと思っていても実際には他人のコピーをしているだけというのは、よくあることだ。
いまから40、50年前だと自然や環境保全より、経済発展を重視する意見の方が多かった。世の中の風潮がそうであったように、その環境下で暮らしているとそれが自分の考えになっていったのだ。
ところが現在の世の中の雰囲気は自然環境保全が何より大事という風に変化してきている。そうすると、そのような考え方をする人たちが増えてきた。
つまり、社会の雰囲気が自分の考えに影響を与えているのは確かだ。しかし私たちはしばしば、自分の意志や考えをしっかり持てと言われるが、そうすると自分の意志とは何かと問われているような気がする。

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だいたいこんなことを小学生向けに優しい口調で語りかけていたが、小学生に対し深いな、と思った。また答えを出さないところもいい。

私自身はショーペンハウエルの"たくさんの本を読むことは良くない"の言葉が刺さった。
「むしろ読まなくていい。」と、許された気持ちになり安堵してしまったのだ。
最近は集中力がないというか、読める本、記事が限られている。時間も限られているのもあるのだが、最初の数行で見限る自分がいる。逆を言えば数行で読める記事は分かる。
とはいえ一冊の本ともなると一週間ぐらいで読み切らないと興味が薄れ集中力がなくなり読めない。
そんな私を全くどうしょうもないと感じていたのだが、ショーペンハウエルはじっくり考えて読むことを勧めている。一気に読むことをどこか理想としていた私は今のままでいいのだと同時並行の本を4冊あることに余裕さえ感じ始めた。

本題の意志の話だが、私自身ものすごく周りに影響を受けやすいと思う。がしかし、自分の意志や考えがそれによりぶれているのかと言われればそうではないとも感じる。
現在の私の内面を形成しているのは幼少時代のいじめの体験から必要としたキリストの教えや仏教哲学だ。ここは今のところぶれるどころか真理に至る確信としているところがあるのでむしろ私の意志は固いと思う。 
とはいえ社会のなかの1個のちっぽけな存在。この激動の環境変化の中で考えさせられることばかりだ。昨日なんかは息子に合わせてゾンビ映画のようなものを観たのだが、あまりに被害に遭う人間が腰を抜かし殺されまくるので、あまりの不甲斐なさにもっとこう戦うべきだと腹を立てた。少し前に非暴力の記事を書いたばかりなのに。
環境は容赦なく自分自身に問いかけてくる。
お前の意志とは如何ばかりかと。

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