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『窮鼠はチーズの夢を見る』について今更語りたくなった

我らが大倉忠義が主演を務めた映画、『窮鼠はチーズの夢を見る』が3/3にDVD化。「全く、ジャニーズは金がかかる…」と思いつつも買う勇気がなく、予約しておりません。

共演の成田凌くんは、ブルーリボン賞を受賞されたそうで。おめでとうございます!!


上映期間中、私は1人で2回観に行きました。(あんな大画面で大倉くんの顔面を拝めることはなかなかないからね!!!)
なぜか2回とも大倉くんのメンバーカラーである緑の服を着ていて(無意識)、細胞レベルでジャニオタに染まっている自分に震えた記憶があります。

映画を観たあとはとにかく誰かと語りたい派の私ですが、感想を言い合うような友達はいないし、Twitterに書いてネタバレになるのも申し訳ないしで、吐き出す場所がなかったのでしょう。行き場のない思いを綴ったメモを本日発見致しました。

お蔵入りさせてしまうのも可哀想なので、今日はそのメモにあった『窮鼠はチーズの夢を見る』の考察や気づきを載せていきたいと思います。


一応、映画の概要をざっくりと説明すると、原作は『失恋ショコラティエ』の水城せとなさんの漫画で、監督は『ナラタージュ』や『愛がなんだ』など、恋愛映画の名手と呼び名が高い行定勲さんで、

"学生時代から「自分を好きになってくれる女性」ばかりと
受け身の恋愛を繰り返してきた、大倉くん演じる恭一。ひ
ょんなことから大学時代の後輩である、成田くん演じる今
ヶ瀬に再会し、「昔からずっと好きだった」と思いを告げ
られて─────"

というストーリー。


以降、ネタバレあります。
見たくない方はグレーバックの部分を飛ばして下さい。





・妻である知佳子と離婚が決まって、恭一(大倉忠義)が今ヶ瀬(成田凌)に電話するシーン。バックに写真を撮る人達が映されていて、一回目見た時からぼんやり気になっていたけど、あれはきっと結婚式の二次会終わりだ。楽しそうに騒ぐ人たちを背景に置くことで、恭一の上手くいかない、不幸な感じを際立たせてるのか。結婚"と"離婚"、分かりやすい対比やけど、一回目はストーリーを追うのに必死でそこまで考えれてなかった。
・救急車のサイレンの音が覚えている限り、2回。鳴ってたことは覚えてるんやけど、どのシーンか忘れてしまった……(誰か覚えてる方がいたら教えてください🥺)今ヶ瀬と恭一が初めて体を重ねた日、今ヶ瀬が恭一に選択を迫るシーンで雷が鳴ったのもそうやけど、窓から漏れる光が怪しい赤い光だったり、音や光がすごくストーリーのスパイスになってる。
・夏生(元カノ)と今ヶ瀬が恭一を取り合うシーンで、恭一が後から来てカールスバーグを頼んだ時に今ヶ瀬が笑った意味。「今ヶ瀬と恭一、同じの頼んでるな」とは思ってたけど恭一が頼むのを分かってて、今ヶ瀬はカールスバーグを頼んでたんだろうな。カールスバーグマウント。あの時、恭一は夏生を選ぶけど、最終的に今ヶ瀬を選ぶっていう暗喩でもあるのかも。その後恭一と席を立った夏生が伝票持って行って会計してて、「奢られたくない」と嫌がってた今ヶ瀬への当て付けのように奢りマウントとってたのは笑った。「可哀想だからせめて払っといてあげる」って感じのオンナ感。
・今ヶ瀬が、恭一の喪服に付いていたファンデーションの事で恭一を責めるシーンの前。今ヶ瀬が台所の汚れを強く擦ってるのは、ただ単に頭にチラつくたまきの存在を消そうとしてるだけじゃなくて、ファンデーションの汚れを"落とす"にかかってるのかなぁと思った。
・恭一がゲイバーに一人で行くシーン。脚本家の方は、「意味は無い」と仰ってるけれど、行定監督はそれに対して「たぶん意味はあるんだろうけど、脚本家はあえて伝えなかった」と仰っていた。

私は、恭一は自分の中の今ヶ瀬への気持ちを確かめる為に行ったんだと思う。今まで受け身の恋愛ばかりで本気で誰かを想ったことがなかったから、自分の今ヶ瀬に対する気持ちが"愛"なのか、確証が持てなかったんじゃないかな。だから、端から相手を探しに行ってないから誰とも目も合わせようとしないし、話しかけられても断る。フロアを見ても、「自分はこの世界の人間ではない」ということを思い知るだけで、"男だから"ではなく"今ヶ瀬だから"好きになったという事実だけが浮き彫りとなる。そこでようやく今ヶ瀬への気持ちが"愛"だと確信に変わり、今の空虚な気持ちの正体が「今ヶ瀬を失った喪失感」ということに気づいて泣いたんじゃないかな、と。
・「イラナイ。オマエ、イラナイ。」(まじでこんな感じに聞こえた。声の温度が冷たすぎて!!)発言及びその後の流れについて。これはほんま、何回みても理解できない気がする……。色んな人の考察を見てたら「(都合のいい男としての今ヶ瀬は)要らない」って意味なんじゃないか?っていうのがあって、その体で観てみたんやけど、それにしては言葉キツないか…?と腑に落ちず………。

理解しやすいように、流れをまとてみる。

マンションの前に止まってる今ヶ瀬の車に気づくが、無視(部屋の窓からこっそり去っていく姿は確認)

尾行されていることに気づき、話しかける

恭一「オマエなんな訳?」とキツい口調で追求するも、「最近どう?」と優しい声で聞く

恭一、たまき(新彼女)と結婚することになったと話す
今ヶ瀬、「都合の良い存在でいいからそばに置いてください」と乞う

恭一「イラナイ」
「オマエ、イラナイ」発言

今ヶ瀬「そりゃそうですよね…」と受け入れ、「だったら最初から拒否してくださいよ」と零す

あれ…?
もうさ、完全にTHE ENDな流れやん!「イラナイ」だけじゃなくて、「"オマエ"イラナイ」やで…?存在全否定……。やのにその後たまき送った直後に待ち合わせてどっか行ってるねんで?!どういうこと??まずいつ連絡したんですか……?たまきがおる時に連絡してるのもこわいし、最初からたまきを帰す前提で待たせてたとしたらもっと残酷………。

話が逸れました。

まぁでも、恭一が「イラナイ」と言いたくなる気持ちはわからんでもないのよね。自分の性の概念を覆す覚悟をしてまで今ヶ瀬に寄せていったのに、今ヶ瀬ってば近づけば近づくほどに疑うし、いつまで経っても不安定なんやもん。挙句の果てにたまきとは何も無いのに疑われ、「あなたじゃダメだ」と言われて出ていかれて。そりゃ「なんやねんおまえ!!」ってなる。
でも、ただただ怒り任せの「イラナイ」でもないんよなぁ。感情に蓋をしたような、温度のない声。どっちかというと、今ヶ瀬を試してる?ような………。
うーん。結論が出ない…。


"全てを説明してしまうと面白くない"
"余白が大事"

行定監督が話されていたこと。

何が言いたいかと言うと、この「イラナイ」発言からその後の2人の関係の間にある余白は、見た人中でそれぞれ三者三様にあって良いのかな…と。

それでもなんとか意味付けたい私もいる。
考えた末に、私の中では"人間の訳の分からなさ"を描いてるのでは、という結論に落ち着いた。人間、必ずしも言動が一致してるとは限らないし、もはや一致してないことの方が多い気がする。心の中で思っていることと、口にする言葉が同じとは限らない。あの場面においては"理性""本能"っていう言葉が正しいのかな。恭一が口にした言葉は理性を優先したものだったけど、結局本能が勝ってしまって元の関係に戻ってしまう………理性は本能に勝てないと観念して、たまきと別れて今ヶ瀬といることを選んだ。そんな感じ……。つまり、理解できないことを描いてるから、理解しようとするだけ無駄なのかな、と。
まあもっともらしく書いてるけど、ある種の諦めです(笑)


あらー、過去の自分、随分書き溜めてたねぇ。
我慢してたんやねぇ。ようやく日の目を見たよ。良かったね。長すぎて誰も読んでないかもしれんけどね!!!!笑


1番最後にダラダラと書いた窮鼠史上最大の謎のシーンには続きがあるそうで。なんでも、台本にはない部分を撮影の時に急遽付け足したとのこと。でもそれを映画本編には入れないというね……なんだか、粋なのか粋じゃないのか……!と思っていたら、冒頭に書いた3/3発売の映像特典にはその未公開シーンが入ってると。いやもう、

やめてくれーーーー!笑

お金かかるんですーーーーー!
買っても家で見る勇気ないしーーーー!笑



…取り乱しました。
どなたか、知り合いで買う予定の方がいらしたらこっそり貸してください。ご連絡お待ちしております。笑


この映画を観てひとつ言えることは、「映画ならではの楽しみ方」を教えてくれたのが『窮鼠〜』でした。 2時間10分という尺の中でひとつの話を完結させるとなると、自然と必要のない部分は削ぎ落とされ、"余白"が生まれる。監督も言ってたけど、その"余白"を想像することこそが映画の最大の魅力なのかな、と。


観てない方はぜひ、アマプラにあるので観てください。男同士な上、めちゃくちゃ際どい…というかもうモロ()なシーンは多いですが、行定監督はあくまで「BL」というジャンルではなく、「恋愛映画」として描いたとのこと。フラットな目線で観てもらえると、より映画の世界観に入り込めるかなと思います。もれなく2〜3日は尾を引きますが、それも映画の醍醐味と言うことで。


最後まで読んで頂きありがとうございました!

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