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アスペルガーの息子 会食恐怖症の再発〜大学生編〜

中学生時代に2度不登校になった息子だが、高校生時代はほとんど休むことなく学校へ行くことができた。

その高校は最低ラインであって、息子が望んだ環境では決してなかった。

ただ、学力もやっとで、行ける高校はそこしか無かった。

チャラチャラ遊んでる子が多かった。いっそのこと息子も一緒にどこかワルになって遊ぶようになった方が楽しかっただろう。でも、息子は真面目な自分を崩すことはなかった。

楽しい学校生活では無かったが、それでも休まず行けたのは、本人がもう2度と不登校になりたくなかった事と、大学に生きたいという目標ができたのも大きな要因だろう。

前の記事にも書いた通り、姉を嫌っていたが、父親の事はもっと嫌っていた。その頃私は離婚したのだが、息子と父親は大きな確執があった。

だから、父親を怒らせたりして面倒なことにはなるのを極力回避してきた。

でも嫌ってはいるけれど、どこかで認められたい、もう失望させたくない、という想いが強かったのだろう。

そうして、なんとか大学に上がる事ができた。

家から遠かったので下宿をすることになり、一人暮らしが始まった。

学校に通い、居酒屋でアルバイトも始めた。髪も染めて、お洒落になり、見る見るうちに、大学生らしくなったと感じられたし、私もホッとしたものだ。

でも、2回生の頃からか、少しずつ調子が悪くなってきた。

その頃から、「川の土手で、ハシャイでる奴らを見ると腹が立つ」と言うようになった。私は、なんとなく嫌な予感がした。

会食恐怖症の再発

2回生になるとゼミが始まった。

ゼミの2泊の合宿に行った時、例の会食恐怖症で3日間ほとんど何も食べられなかったらしい。高校の時は弁当だったし、大学に入っても友達と食事ができていた。でも、ゼミの打ち合わせを昼休みに食べながらすることが多くなってから、また食べられなくなっていった。

食べられない事を、知られたくない。

「あいつ、食べられないんだって」という噂になりたくない。

無理に食べて吐いてしまったら、どうしよう。

そんな思いから、昼休みの打ち合わせが苦痛になっていく。

「いや〜俺、少食なんだ」とか「いや〜今お腹すいてないんだ」って言えばいいじゃない?っと言っても、息子はできなかった。

それでも頑張ってやっていたが、結局ゼミをやめた。

そして夜が眠れなくなっていき、大学のカウンセリングに行くようになった。

カウンセリングで、「死にたい」と言ったらクリニックを紹介され、薬を服用するようになる。

安定剤や睡眠導入剤。

しかし、睡眠導入剤を飲むと、眠れるどころか気持ちがハイになって、夜中に外に出かけて、DVDを借りたりコンビニに行ったりする。朝、自分がどこに行ってきたか思い出せない時もあった。

それでも薬を飲み続けた。結局眠れない日々が続く。

朝、起きられなくて授業を休む。そんな繰り返しになっていく。

大学を休む日が増える

実家に帰って来る日がだんだん増えてきた。

薬も合わず、吐き気との戦いだった。よだれをダラダラ流して苦しがる。そんな様子を見ているのはとても辛かった。

大学を休む事が増えてきて、私としては休学をさせたかった。

ゆっくり休ますことは必要だと感じた。

しかし、息子は当時授業料を払っていた元夫(息子の父親)にこの状態が知られる事をひどく嫌がった。「なんで、こんな事になったんだ!」と言われるのをひどく怖がっていた。

どうして、自分はこんなに苦しいことばかりなんだ

息子自身も自分がこんな状態になっている事をひどく悔しがっていた。

「なぜ、自分は周りの友達のようにできないんだ」

「どうして、自分は毎日こんなに苦しまなくてはならないんだ。」

「いっそ、死んでしまいたい」

そんな想いをよく吐いていた。見ていて辛かった。

母親として、どうすることもできない自分を責めた。

父親に言えない日々が続いたが、結局言わざるを得なくなって、父親に伝えて休学した。

休学してゆっくり休養したら、又大学へ行けるようになるだろうという私の思いとは裏腹に、ここから更に状態は悪くなっていったのである。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


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