お邪魔しました。

ピッツァーカレッジに編入してから最初の学期が終了し、夏休みに入った。
1月10日ごろにキャンパスに到着してから、もう4ヶ月も経った。

夏休み中は、キャンパス内の寮は外部の人間に貸し出すため、春学期が終了すると退寮のために荷物を片付けて、元の状態に戻さなければいけないシステムになっている。恥ずかしながら、片付けている間に「時間が過ぎるの早いな〜」なんて思っていた。

自分は、せっかくビザを発給されてアメリカに滞在できる資格があるのに、4ヶ月いただけで一旦日本に帰国してしまうのはもったいないし、早すぎると思い、キャンパスの近くにあるシェアハウスで夏休みの間は過ごすことにした。5月15日が退寮の期限日だったので、その日に全ての荷物を新たな家へ運び出し、引越し的な作業は終了した。

同日、春学期中に行動をよく共にしていたイタリア人の交換留学生と、「もうお別れだし、一緒に昼飯でも食べる?」と誘われたので、昼食を食べ、軽く散歩をした。前にも書いた気がするが、アメリカ国外からやってくる留学生は、学期が三日ほど前に行われるオリエンテーションのさらにその三日前にアメリカに入国しキャンパスに到着する必要があった。だから、自分と、イタリアからの交換留学生の3人、レバノンからの留学生1人の合計5人は、まだ誰もいない大学の校舎で、1週間ほど一緒に行動していたので、その流れで学期が始まってからも一緒にご飯を食べることがよくあった。

つまり、ピッツァーカレッジに来て初めて出会った学生が彼らで、自分以外は全員春学期のみの交換留学生なので、全員帰ってしまうというわけである。なんとも寂しい文章だ。

食事を終えて、キャンパスに戻るまでの道すがら、センチメンタルな気持ちになっているのか、イタリア人留学生のAが、春学期の回顧を始めた。彼は、以前にも書いた、めちゃくちゃ人気で女子にモテていたやつだ。側から見ても、毎週末パーティに行ったり、ロサンゼルス近郊に観光に行ったり、登山をしたりと、充実している日々を過ごしているようだったし、本人も学期が終わることを非常に残念がっていた。

いろいろ話を聞いている間、彼が3月ごろに誕生日を迎えた際、「今夜はストリップに行って自分の誕生日を祝おうと思ってる」(学校から歩いて40分くらいのところにストリップがある)と冗談を言ってきたのを思い出し、ふざけて「ストリップには結局行ったの?」と聞いてみた。すると、「行ってない」という返答だったので、「後悔してるんじゃないの?」なんてふざけて聞いてみると、それまで笑顔だったAの顔がシリアスになり、いろいろ思い出すような感じで「アメリカに来てから、何かをやらなくて…とか、できなくて…と後悔していることは一つもない」と言った。

自分は完全におふざけモードでノーガードだったので、その返答を受けて完全にノックアウトされた。つまり、「自分と同じ、「誰もキャンパス内に知り合いのいない留学生」という立場からスタートしたのに、Aは自信を持って「後悔はない」と言える4ヶ月を過ごしていた」という事実に愕然とした。

改めて振り返ってみると、「2年いる予定のうちの1学期だから、勉強中心なのは大前提として、いろいろ様子を見ながらこの学期は過ごそう」なんていう気持ちがあった。しかし、彼らは交換留学の4ヶ月しかなかったので、本当に忙しそうにいろいろなことを楽しんでいた。同じ4ヶ月でも、密度が全く異なっていたのではないか。そんなふうに思わされた。 編入生には、「次の春学期」があるけれど、交換留学生にはない。だから、彼らのように生活していなくてもいいんだ、と、自分の選択を合理化するのは簡単だけれども、編入生にだって「2022年の春学期」は人生で一度しかない。そんな当たり前の事実で後頭部を殴られました。

私は「後悔と反省」に関して天性の才能を持っているので、もちろんアメリカに来てからも自分の行動を後悔し、考え方を反省し、その反省を活かせずにまた後悔するという4ヶ月を過ごしてきた。

4ヶ月間、ずっと、新たな環境に対して「お邪魔してます」という感覚を抱いていた。例えば、友達の家に初めて遊びに行って、玄関に入った時「こんな匂いしてるんだ」とか「靴めちゃくちゃ多いな」とか、トイレの芳香剤は何を使っているのかとか、友達の親がいることを気にして、いつも遊んでいる時よりも無理に畏まっちゃったりとか、そういう、「いろいろ様子見」している時の感覚だ。だから、4ヶ月が終了しても、正直「もっとここにいたい」と泣くほど思うような愛着や思い出は自分にはない。だって、お邪魔していただけだから。

6時のチャイムが鳴ったら「今日はありがとうございました。またお願いします。」と慣れない敬語で友達の親に礼を言って、自分の家に帰るようなものだ。

でも、イタリア人留学生Aは違っていた。おそらく、俺が友達の家でトイレを借りて、トイレマットの趣味を吟味したり、「ここにかかっているタオルって俺も使っていいやつかな…」と悩んでいる間に、Aは居間であぐらをかきながら、出されたお茶菓子を遠慮なく食べ、そのちょっと大胆な感じが友達の親にも好感をもたれて、短期間でめちゃくちゃ親とも仲良くなってタメ口で喋っていたのだろう。そう考えると、離れるのが寂しいと言っていた彼の気持ちが若干汲み取れそうな気がする。

「勉強をしに来ているんだ」と、意固地になりすぎていなかったか。
「まだ初めての学期だから」と、気を遣いすぎていなかったか。
後悔の源は尽きない。だけども、自分が選んだ選択肢を正解にできるのも自分しかいないということにもようやく気づき始めたので、正解を作っていかなければいけない。

留学しに来てるくせに、「〇〇も知らないなんて」とか「〇〇も出来ないなんて」とか「発音も文法もメチャクチャだな」とか思われているのではないかとずっとビクビクし続けていた。4ヶ月間で、そういう「不安」を持ちながら日々を生きていくことには慣れたけど、「不安」自体の根本治療はできていない。

だけど、逆に考えれば、留学生だからこそ、極端な話校内の全員から嫌われても日本に全く別のコミュニティを持っている(日本のコミュニティの中で上手くやっていたのか?という話は一旦棚に置かせてください)。

そのような考えを、息をするように出来るようになれば、より大胆に行動できるはずだと信じている。もっと嫌われなければ、仲良くもなれない。もちろん、勉強が最優先なのは言うまでもないけど。

だいぶ話がごちゃごちゃしているけれど、要するに、この4ヶ月、いろいろありましたが無事終了しました。


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