気になる。
本人は大して気にしていないだろうし、覚えてもいないだろうけれども、どうしても気になってしまう言葉遣いや言動がある。
例えば、ある時、家族で親戚の家に行った時のことについて話している30代くらいの男性が、「俺はハンドキーパーだったから飲めなかったんですよ…」と言っていた。「運転手」ではなく「ハンドキーパー」である。
気になってしまう。なぜ「俺が運転してたから飲めなかったんですよ…」ではなく、「ハンドキーパー」という言葉を使ったのだろうか。
単純に言うと、「格好つけんなよ」という、嫌な見方をしてしまうのです。「ハンドキーパー」なんて横文字使って、スタイリッシュな感じ出そうとするなよ。飲酒運転で逮捕されないように酒飲むの我慢しただけだろ、なんて思ってしまうわけです。
そんな嫌な見方は、自分自身も苦しめる。
アメリカの大学に編入してから2ヶ月が経ちましたが、死ぬまで「bro」とか「hey men」とか言えない気がしています。自分のことを「うわ、こいつかぶれまくって「bro」とか言ってはしゃぎまくってるじゃん」と客観視してしまうからです。自分で書いていて嫌になるほど曲がった性格。別に、かぶれているとかかぶれていないとか、本来はそういう話ではないわけです。そういう言葉を使う文化に自分を馴染ませているだけであって、別に恥じたり斜に構えたりすることではないということは百も承知なのだけども、自分を自分が監視している。
とにかく、私は他人や自分の言動に敏感なわけです。
私とちょうど同じ日に、ピッツァーカレッジでの留学を開始した男性のイタリア人留学生2人がおり、お互い留学して初めて会った学生同士ということもあってちょこちょこ交流しているのですが、2人ともめちゃくちゃモテる。自分と同じ日にキャンパスに着いたということは、周りの学生は誰も彼らのことを知らないという、自分と全く同じ環境からスタートしたはずなのに、えげつない社交性と愛嬌で、すでにめちゃくちゃ人気者である。「こいつらのこと知らない人いないんじゃないか」ってくらい、色んな人と挨拶している。
そんな2人と夕飯を食べていたある日、その2人を知っている女子学生が3~4人が、同じテーブルに加わってきた。明らかに、イタリアン達の会話のギアが上がったのを感じる。マニュアル車だったら、ギアチェンジが急すぎてエンジンが止まりかけるくらいの変化だった。それまでの、自分との「疲れたね〜」「今日の授業でさ…」みたいなだらだらトークが一変し、ある女子の出身地を「田舎じゃん!」と傷つけないレベルでいじってみたり、ユーモラスなトークで笑わせたり、とにかく2人の独壇場だ。自分は、その場にいた女子学生の誰1人として会ったことがないのに、自己紹介をする隙すらない。
そんなトップギアトークをかましているのに、女子から「2人のことみんな知ってて、すっかり人気者だね」と褒められると「特別なことは何もしてないけどね」なんてスカしまくっている。羨ましい。イタリアンなスカし方を学びたい。そんなこんな考えていると、新たにもう1人女子がテーブルに加わろうしてきた。テーブルの大きさの割に人数が多く、かなり窮屈になったのだが、そのとき私は長テーブルの角の方に座っていた。すると、イタリアンのうちの1人が、「Please Move to the seat」と、さらに角の席を指さして私に言ってきた。今まで、彼から一度も「Please~」と言われたことはなく、いつも何かを頼まれる時は「can you~」だったのに。
立ち退き命令である。
「OK!」と快諾を装ってさらに隅の席に移動した後、デザートとして食べていたチョコレートブラウニーの残りカスをフォークで掬うふりをして、「会話に参加できないんじゃなくて、ブラウニー食うのに必死だからね」というカモフラージュをすることによって冷静を装った。
まずは、「bro」から始めます。
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