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高校中退、不良少年から音大ピアノ科首席への道のり

この記事を開いて下さりありがとうございます。私が音大ピアノ科で首席になるまでの道のりを家庭環境からそれまでの出来事を赤裸々に綴りました。
最後に重大報告もあります。


まずはじめに、私は比較的厳格な家庭に産まれ、さも当たり前かのように幼い頃から「勉強して偉くなって医者か学校の先生になりなさい」と言われながら育てられ小学校に入学した頃には自ら「医者か薬剤師になりたい」と言っているような子でした。
そんな中私がピアノを始めたきっかけは「気づいたら勝手に親に習わされていた。」でした。途中から嫌々通っていたのを今でも覚えています(笑)

私の家族は母がインベンションの1番が少し弾ける程度で趣味程度に習わされていたのでピアノの練習を強要されたことも無くストレスフリーな状態でしたが特別ピアノが楽しかった訳ではありませんでした。しかし私が子供の頃はまだ「男の子でピアノが弾けるのは珍しい」という時代で、ド田舎の小学校という事もあり音楽の授業前に少しピアノを弾くとチヤホヤされました。当時はその貴重な「ピアノが弾ける男の子」といアイデンティティのためにピアノを習い続けていたような気がします(笑)

小6の時いい具合にピアノ坊ちゃん

しかし通っていた音楽教室では常にビリから2番目の成績で特別モチベーションも上がることもなく、小学校4年生の時とうとう「ピアノを辞めたいです」と先生に言いますが無理やり止められました。今となっては止めてくださった当時の先生には感謝しかないですね(笑)なんだかんだそのままグダグダピアノを習い続け中学一年生の頃に転機となる運命的な作曲家との出会いを果たします。

バッハです。
これを聞いてクラシックピアノを習っていた方は「え?バッハって基礎じゃない?」「初めの頃にやるんじゃないの?」と思う方は多いかもしれません。
なんせ私は人の言うことを絶対聞かないし自分が良いと思った曲しか練習しない子だったのでバッハなんて弾いた事がありませんでした。今でも好きな曲しか弾かないのは変わってないですね(笑)初めて弾いたバッハの曲はイギリス組曲第2番。どうしても弾きたくて「無理だ」と言われながらも初めて死に物狂いで練習して常にビリから2番目だった私がこの曲を弾いて地区大会で金賞を取り初めての中国大会で優勝してしまい、その教室では実に5年ぶりとなるファイナル推薦演奏会に出場するまでになったのです。これを機に自身を天才と錯覚しここまでピアノを続ける事になるのですが....

そのままバッハにどハマりした私はバッハばかりを練習していて中二ではバッハのパルティータ第2番を弾いて全国大会で2位を受賞するまでになっていました。当時は私は医者を目指していたのですが今思えば心の奥底でピアニストになりたいと思っていた気がします。

確か中3の時


結局そのまま高校受験を迎え医者になるべく無事県内屈指の進学校に合格し入学する事になります。
中学までは成績は良かったものの高校に入るとそれなりの学力の人達が集まってきているので「自分はそこまで勉強はできない凡人だ」と思うようになり高一の冬が終わる頃には医者という夢は諦め、好きだった数学の先生になろうと思っていました。そして高二の夏、運命の歯車が動き出します。
思い立って受けた国際コンクールで3位を受賞し音楽の都ウィーンにて演奏会を行う機会を頂きました。そして実際に現地の音楽や街並み等、様々なものに触れ私は心の底から音楽を続けて行きたいと思うようになりました。

そして高校2年生の冬、ピアニストになりたいと決意しこのままでは勉強が大変でピアノに力を入れられないと思い親の大反対を押し切って高校を中退しました。最初の頃は時間が増えてピアノに集中していましたが反対を押し切って高校をやめた事で親との間に亀裂が入り始めました。

高校を中退してからしばらくして音大に行ってピアノを学びたいという願望が出てきて、中退してから2ヶ月近くたっていたと思いますが運良く入学を募集している通信制高校がありそこに入学し、ものの1ヶ月で全レポートを終わらせあとは試験を受けるだけで高卒の単位が貰える状況になりました。

このままピアノに集中できるかと思いきや家という場所が居心地の悪いものになり通信制高校で出会った友達の家に居候するようになりました。高3から通った通信制高校では友達が登下校中平気でタバコを吸ってるような環境でいわゆる不良友達との絡みも増え深夜徘徊など非行にも走るようになりました。

友人宅に居候してる私

ピアノをしたくて決意した中退でしたがその頃にはすっかりピアノも弾かなくなっていました。しかしそんな時でも常にバッハやショパンを聴いていました。やはりクラシック音楽やピアノが好きな気持ちは変わりませんでした。

運良く居候していた友達の家に使われていない電子ピアノがあったのでたまに練習をしていました。そして高3の夏、そろそろ本気で大学受験を考えなければいけない時に私はまだ何処の音大を受験すればいいかも分からない状態だった。その時にたまたま同じ高校の人がある音大の受験を考えているとの事で話を聞いてみるとそれは正直見た事も聞いた事も無い、何なら○○音楽大学という名前すらつかない音大でした。それが私の卒業した音大になります。(教育カリキュラムは完全に音大そのもの同等であり入学当初のオリエンテーション時にこの大学は音大ですと教授陣から言われているため音大としています。)

その当時何も期待せずパンフレットを貰って見たら「え、なにここ!音大なのに学費が安い!?」正直最初はそこに目がくらんでその大学を受験しようと思いました。それと同時に私にはある野望が芽生えました。高校での経験を活かしてめちゃくちゃ上手い人達が集まる音大や藝大に入って腐るよりこの音大に入って天下を取り優秀な生徒として優遇される方が絶対良い!と思い鶏口牛後作戦(当時そう言ってました笑)に出ることにしました。

私の考えは正しく見事大学4年間ピアノ科でトップの成績をキープして「ピアノ科首席」という肩書きを手に入れ、夢だったピアノ協奏曲もウィンドオケと2回も共演し、教授からも気にかけてもらい練習室の予約が取れない時は研究室のグランドピアノを使わせて頂いたり学外の演奏会に出させて頂いたり等手厚くサポートして貰えました。井の中の蛙と言われるかも知れませんが間違いなくハイレベルな中で埋もれるよりレベルアップも良い経験も出来ました。

それに決して周りのレベルが低かったわけでは無いですしどんどん上手い後輩も入って来ていたので必死で練習していました。もちろん学外でのコンクールでもそれなりに入賞していました。ぶっちゃけ入賞したりピアノ科首席いう肩書きなんてその一時の結果にすぎません。しかしその時一瞬でも成果を出したという事もその結果に向けて努力した事も変わりない事実です。

ろくに受験対策もできず運良く入学できた私は音大に入ってから基礎からのやり直しで本当に死に物狂いで練習し長期休暇は朝イチから閉門まで毎日練習に通い詰めました。ちゃんとした練習方法も何も分からず手を故障する事も多々ありました。しかし、そんな失敗や挫折だらけだった私だからこそできる事があるにのでは無いかと思ったのです。私のように手を故障して欲しくない、正しい練習方法を知らず効率の悪い練習をして欲しくない。音楽教室でビリから2番目だった俺がここまで出来たんだから他の人なら絶対もっと上手くなれる!

そんな想いから本気でピアノを人に教えよう、そして自分のような失敗をしないでいいように教えてあげよう!と思いこの度生徒さんを本格的に募集しようと思いました!

私は「天才」という人を目の当たりにした事があります。彼らは本当に常識を覆す程の才能に溢れていて私が長い年月をかけて習得したものをサラッと短期間で習得しできるようになります。それを見た時とても勝てないと思いました。私は至って凡人です。いや、下手したら凡人以下だと思います。

だからこそ沢山失敗や挫折をしてきました。しかし逆に失敗や挫折をしてきたからこそ頑張りたい人の力になったり寄り添える事があるのではないか?少し練習したら何でもできちゃう人より痛みを知っている人の方が指導者として向いているのではないか?と思いました。

長らく読んで頂きありがとうございます。ここからは皆さんの判断になります。ここまで読んでまろにピアノを習ってみたい、そう思った人はぜひこちらから応募してみてください。
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