変化を共有しても人は優しくなれなかった
去年の4月から半年間、日本でマクドナルドの接客アルバイトをした。
コロナ禍のマックは、どの店舗のドライブスルーもパンク状態。ほとんど毎日、警備員の方が交通誘導するほどだった。
お客はどうしようもなくイライラしていた。
並行した車2台の間でオーダーを取る私に、これは三密だぞ!と叫ぶおじさまもよく覚えている。
「はよせんか、バカ女!」と、マネージャーが言われなぜか私が泣くようなこともあった。(泣かない女にいつになったらなれるのか、、)
きっとみんな叫びたかった。そうじゃなきゃ、やっていられなかった。
地球人は同じ欠落と孤独と困惑に苛まれた。
それでも優しくは、なれなかった。
多様性を信じる一方で、私は全人類の優しさを今も悲しいくらいに信じている。
時としてそれが私の心を殺していたりもするが、、
ひとが「誰かを愛せたあの時の気持ち」で生きることは
あとどれほどの、何を経験すれば叶うのだろう。
この先には地球温暖化による常識の変化が待っているらしい。
地球人はいつ優しくなれるんだろう。
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