まろた

気持ちのいい言葉ではなく、違和感があっても責任のある言葉を選びたい

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最近の記事

交われない孤独を纏う

悪気なく"深いひと"という、とっつきにくい人認定をされていた学生時代を思い返すと、 もうそのころから私は私でしか生きてなかったと気づく。(笑) いわゆる深いことを口に出すと、多くの場合ろくなことが起きない。会話に持ち出すトピックにしては地雷枠なことは間違いない。 おもしろいことに、 特に本当にわかり合いたい相手には突っ込んでいくことができないもので。 どうして私たちは生きているのか? 特にこんなのは、シェアするのってめちゃ怖い。 意図しなくても否定されたと感じたら、も

    • 最大多数の最大幸福を飲み込めない

      日本にいて違和感を感じる一つに、 みんなが合ってると感じることが正解になる瞬間というのがある。 もしくは、特定のひとの意見に少数派が無言でかき消される瞬間というのもあるだろう。 私も日本濃度高めな人間なので、おっとっと、と踏みとどまることがせいぜいなのが現状で、 日々靄の中をでんぐり返しして進んでいる。(ような) それから冷ややかな目みたいなのも、そろそろ滅びないだろうか。 それでももう、どこへでも飛べる自分なので、 しばらくはここで足掻いてみる。

      • 一日を終えるために手を洗う

        「繊細さん」とかいう言葉もよく聞くようになって、人間というもの、ほとんどは繊細なんだなあ、とわかる。 かく言う私も、繊細というか神経質である。 会う人、聴こえてくる情報、すべてに敏感で吸収しがち。一冊読み終えるとその主人公の話し方が脳内にインプットされたかのように、なんかちょっと違う人になってる気がするくらいに。 受け取りがちな自分には、たまに終われない夜がある。 誰にでも眠れない夜はあるはずだけど、なににも影響されていない自分になるための儀式が必要な夜がある。 寝る前

        • ぽつぽつと

          流れてくるラジオ、 鳥羽和久さんのツイートの通知、 もう目と耳で同時に「ジェントリフィケーション」という言葉に触れてしまったので そろそろ顔を突き合わせるころかな きれいごとで世界が覆い尽くされること それは革新かもしれないし、分断かもしれない 間違いはひとつかふたつしかなくて それ以外はなにを選んだって信じたっていい そんな世界になってきた気がする より多くの人たちが 私は、私たちは大丈夫よと 閑とした美しさのなか透明な場所に立っていますように

        交われない孤独を纏う

          Nomadland:自由の中毒

          人間が自然へと還ろうとする姿は美しかった。 映画館にて、通路挟んだ右隣のおじ様の鼻をすする音が聞こえる。この映画を観るには、私は喪失も孤独もまだ知らないに等しいのかもしれない。 ノマドの人々は、自由の中毒者であるのかもしれない。 独身貴族が、その自由の悦びと孤独を天秤にかけるのは、充分に自由の味をしめてしまったからだ。 許容範囲内のリスクと、偶然がもたらす瞬間の高揚と、味わってしまうほどの孤独は中毒とはいえないだろうか? 「生きる」と「暮らす」が違うように、ノマドを

          Nomadland:自由の中毒

          変化を共有しても人は優しくなれなかった

          去年の4月から半年間、日本でマクドナルドの接客アルバイトをした。 コロナ禍のマックは、どの店舗のドライブスルーもパンク状態。ほとんど毎日、警備員の方が交通誘導するほどだった。 お客はどうしようもなくイライラしていた。 並行した車2台の間でオーダーを取る私に、これは三密だぞ!と叫ぶおじさまもよく覚えている。 「はよせんか、バカ女!」と、マネージャーが言われなぜか私が泣くようなこともあった。(泣かない女にいつになったらなれるのか、、) きっとみんな叫びたかった。そうじゃ

          変化を共有しても人は優しくなれなかった

          本質的に生きること

          本のタイトルは イノベーションオブライフ 絶対と言っていいほど、自分では手に取らないタイトルだが、なかなか(まだ)関係の浅い知り合いに借りてしまったので読んでみた。 原題は How will you measure your life? なるほど、原題のままでよかったんじゃない?と思うくらい、後者の方が内容と合致している。 そもそもなぜ借りて「しまった」などとほざいているかと言うと、人に本を貸すのは恥ずかしい告白のようなものだとの理由から長年避けていて、最後に借りたの

          本質的に生きること

          生徒が摂食障害の私に痩せたいと言ってきたので、美しさについて改めて考えた

          先日、温泉の更衣室で体重を測りあう女子学生らしき4人の会話が耳に入った。 「どうしてそんな可愛くなったの?何かしてるの?」 「ガリガリじゃん!」 「痩せすぎ、もっと食べなよ」 「少し太った?」 私はお湯に浸かり、自然と高校生の頃を振り返る。 いつも制服の靴下をどれだけあげるのが一番足が細く見えるか気にし、人とすれ違う時は顔を作った。 お昼はサラダかスープで、あとはOS1を飲んでやり過ごしていたけど、途中からそれも恥ずかしくなりいっぱい食べる女の子を装い吐くように

          生徒が摂食障害の私に痩せたいと言ってきたので、美しさについて改めて考えた

          どうして人間は大変なのか

          先日、知り合いが悲しいことがあったと夜中に電話をかけてきた。 「違う選択肢を選んで並行して生きる自分がいるとしたら....変わりたい。やり直したい」と、こぼしていた。 googleで調べれば、答えが分かってしまう世の中で、”答えのないこと”はもはや、悩みたい私たちのお気に入りのエサと言ってもいいだろうと思う。 そういえば、TBSラジオ全国こども電話相談室が12年ぶりに復活した。 1964年から44年間続いた、リスナーの子供たちからはがき・手紙で寄せられる相談や質問にス

          どうして人間は大変なのか

          たぶんずっと気づいてる

          何者でもない でも、サンタに世界平和を、庭一面の花を願う私ももういない オトナってなに しなければならなかったことなんて、本当はなくて、 すると決めたことばかりだった

          たぶんずっと気づいてる

          素晴らしくて、変なの

          吐き出さなきゃ、眠りにつけないそんな夜。 ここ数日の月は、何があったんだってほどに魅力を放っているけれど。 何も。なにも要らないのかもしれない。 私は私でいれたら、それでいいのかもしれない。 人間て面白くて アタマだけで、こんなに思考が巡る。 ついでに、脚まで付いてるから、 どこへでもいける。 みたり聞いたり話したりできる。 分かり合えないのに、わかり合おうとする。 今日も寝て、 起きる 素晴らしくて、変なの。

          素晴らしくて、変なの