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交われない孤独を纏う

悪気なく"深いひと"という、とっつきにくい人認定をされていた学生時代を思い返すと、
もうそのころから私は私でしか生きてなかったと気づく。(笑)

いわゆる深いことを口に出すと、多くの場合ろくなことが起きない。会話に持ち出すトピックにしては地雷枠なことは間違いない。

おもしろいことに、
特に本当にわかり合いたい相手には突っ込んでいくことができないもので。

どうして私たちは生きているのか?
特にこんなのは、シェアするのってめちゃ怖い。

意図しなくても否定されたと感じたら、もう。
何をどう保てば平静を装えるか、心に突如入ったヒビを修復する手立てを持ち合わせてないので恐ろしい。

恐さが脳をハイジャックするとき、
いつも同じ感覚がある。

ヌメヌメした膜を纏ってしまって、
取れなくて脱げなくて、疲れて脱力したところで重たさは変わらない。

大切なひとと本質的なところで交われないとしたら、、だとしたら。
それでも繋がっている事実をどう咀嚼したらいいんだろう。

これまで観た景色も、聴いた言葉も、選んだ事も違うのに、交わることにどうしてこうも希望を持ってしまうんだろう。

相手は想像もしないような考えだったり、そんな会話も覚えいなかったり、そんなもの。

その逆も然りで、知らぬ間に誰かを裏切ったり、絶望されてる気がする。

差別もそっか。
私はしてないという思考が差別の近くに位置してるような。

お腹すいたので寝よっ

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