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痩せの報酬と犠牲

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

ダイエットに励んだ2年間と摂食障害と向き合った4年間、私が追い求めていたのは「痩せている私」ではなく「自信を持った私」でした。

私が「痩せ」に執着していた時期は、自分を肯定できる自分らしさを探していた時間です。では、得られた報酬は何だったのか?払った犠牲はなんだったのか?

回復から2年経った、今の私が振り返る痩せの報酬と犠牲を書くnoteです。




美しければ幸せになれるという迷信


SNSやメディア・雑誌・広告で日々目にする「人の美しさ」は、魂ではなく外側の容姿ばかり。見た目の支配された世の中で私らしい美しさを見つける事も表現する事も、難しい。

ルッキズムは社会問題だけど、遠い存在ではない。目の前の日常に溢れた "人の偏見"  "ビジネス"  "他人からの評価を重んじる人の心 "が創り出しているもので、誰のせいでもない。一人一人の意識が、今の「美しさの基準」とそこから得られる「報酬」を誇張してしまったんだと、思う。

自分の容姿が満足した姿になったとして。では、10年後もそれを継続できますか?人間は老いていく生き物です。皆んな同じ時間が流れて、早かれ遅かれ死んでいくのです。今だけ幸せだったらいいのかもしれないけど、今しかない幸せって、他にもあるはずなんだって。

私も、自分らしさの選択肢を知らなかった・与えられなかった・教わらなかった、社会問題の犠牲者であり加害者なのです。


痩せてから変わった周囲の反応


私は前から可愛いし、体重が何キロでも魅力的だった。何も困った事もないし、幸いにも酷い事を言われたりされたりしなかった。でも、痩せたらもっと「可愛いね」とか「綺麗になったね」と言われて、「頑張ったね」なんて言われた。

今思えば、外側の皮が伸びたか縮んだかの事で満足感を得ていた私は病的だったのかもしれないけれど、当時は「努力は報われる」って本当なんだ。と思い込んでしまった。

私は初めて何かやり遂げられたような気になって自己満足していたし、目の前の事しか考えられなかったから、この先もこの幸福感は続くか?という疑問は抱かなかったのです。ただ、自分が誇らしく思えた。

自分で抱いた感情もあるけど、他人から評価される快感は自己評価にはない幸せだったりします。


外見の美しさの魔法


誰かが家で何時間も勉強をしていても「見えない努力」だから褒めようにも、事実を知らない。成績となり良い評価になったとて、努力の過程を誰が評価してくれる?

ダイエットや美を追求する努力は、過程を「数字」にして比較できたり、見た目の変化は目に見えて分かりやすいので「評価」が簡単なんだと思う。

だから、どこか満たされない気持ちを簡単に蓋できる。実際、心の凹みは塞がっていないけれど、一枚の布で覆って見えていないフリができる。それが美しさの魔法。そう思います。


犠牲になった時間


時間こそ、返ってこない。お金とか勉強とか経歴や肩書きはいつからでも遅くないし可能性もあって、上書きもできる。

でもその時の時間って、二度と返ってこない。お金で買えないのは「時間」とよく言うように、私もそう思うんです。

痩せに夢中になっていた「あの頃できた事」で悔やんでいたのは、正直「今からでもできる事」なんだけど "何が悔しいのか?" って、あの10代後半の学生のエナジーを痩せに注いでしまった事。もっと色々な事をあの時間で味わい、感じていたかった。

可愛いの為、綺麗の為に費やしても返ってくるのは、一瞬の満足と上面な他人からの評価。私に必要だったのは、もっと広い世界を見て自分を認められる考え方に出会う事でした。

後悔している、犠牲にした時間を振り返ればこう書くしかないけれど。正直私は犠牲にした時間のおかげで「今の自分が大好き」と思えるから無駄だったとか、そんな後悔ではないかな。


手放した健康

健康って、どれだけ大切かなんて私の言葉では語れないくらいに「当たり前の幸せ」で近過ぎて見えないみたいな。宇宙って広いの分かっているけどいつも意識できない事実みたいな事。

健康を手放したら勿体ない!もっと他に大切な事がある!と思って言うのは "一度当たり前の幸せであった健康を自ら手放してしまった経験" があるから、思い言える事。

健康を手放すって、体が動かないとか苦しいとかではなく「記憶」なんですよ。心なんです。

元気であれば、楽しめたはずの友人との時間。元気であれば行けたコンサート。元気だったら別れなくても済んだ恋人。元気でいられたらかけなかった心配。元気でいられたら美味しいと感じられた幸せ。

痛みや傷みたいに「いつか治る」とか「また元気になったらできる」みたいな事じゃなくって、健康が失われた時間にこびり付いたトラウマや後悔や悲しみが、記憶となって心が痛むんです。

そこまでして「痩せる」とか「綺麗でいる」って大事な事なのか?可愛ければ痩せていれば自分の描いている「幸せや理想」はあるのか?一度考えなきゃいけないと思う。


最後に

私は総じて、健康や時間を失って「犠牲」になったものも「報酬」になって返ってきたと思っています。もっと価値のあるものになって返ってきた。それは、当たり前の幸せに気が付いたからだし、自分が求めようとしたからだと思う。

でも、失わなくても済んだならね、正直失いたくなかった事や記憶として心に残ってしまったものも、ある。これが本音。

だから、今痩せとか容姿とかなんでもいいんだけど、自分を取り繕うものの為に、何か大切なものを犠牲にしないで欲しいなって思うんです。お金でも、時間でも、仕事や地位や関係性や、なんでもいい。自分に必要なものは、そこにあるのか?誰も教えてくれないから、自分に聞いてみて欲しい。そう願います。







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