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痩せ姫助長JAPANに思う事

普段は人それぞれの生き辛さに寄り添い、悩みや質問に答えたり、言葉を選びながら痩せに対する感情や健康に対する認識に自分の考えをシェアしています。今回は、あえて誰にも寄り添わずに自分の思うままに「健康の誤認識」を訴えたいと思います。


主にSNSなのかもしれません、問題であり誤認識の集まりや広がりはここから発生しているのかもしれません。昔からアイドルやモデルはいつだって「美しく憧れの的」の「シンボル」ではあったけれど、近年の痩せ姫や細いと幸福をもたらすような認識は近い存在にあるSNSで他人との比較によって「自分も同じようになれるかもしれない」という距離の近さから生まれたものだと思っています。昔と今で比較したら何が違うかというと世論が近くにあって他人の目に晒される事が近しくなって誰もが「シンボル」になれるSNSがある事。

それをビジネスとして成り立っている大きな企業達。脱毛やエステやダイエットから健康食品、そこから美容整形や美容商品、数々のインフルエンサーにPRをお願いして我々の目に止まり「いいな」って思う気持ちを売って我々は買っているんだと思います。

それがビジネスであり自分に必要か否かを判断できない年齢層に最も影響がある、それを分かっていながらビジネスは続いているんですね。社会問題でしょう。


ではなぜ、ここまで大きな問題でありながら「変わらない社会」なのか?それは一人一人の認識です。結局「見た目で判断する人派」が多いと思って、思わされているため、痩せていようという気持ちが強い傾向にあるからです。無意識にも洗脳されているような気がします。「どっちかといえば、細身の方が美しいじゃないか」という謎の定義。

思わせる社会環境と無意識にも美学の定義を他人に押し付けている一人一人の言動、これらがループしている状況。


よく、○○は食べたら太る○○キロカロリー以内が健康的食事○○kgならBMIの理想は○○だ。など、多くの投稿をみます、ダイエット垢や美容垢など若者の目に映るSNSのアカウントには沢山の誤認識を呼ぶ情報が溢れかえっていますよね。

果たして、それはあなたの為の数字や健康なのでしょうか?

まるで皆んな同じ体や体質骨格を持って同じDNAで生きていると思っているような、そんな投稿。性格も違えばキャパも違えばライフスタイルだって違うのに、それが正義のように情報を共有された誰かは「私って、ダメだな。惨めだな。太ってるんだな。何もできないんだ、可愛くないんだ。」と思うしかないじゃないですか。

誰の為の健康ですか?誰の為の情報ですか、それは誰が「健康」と定めて、誰が「可愛い」の基準を持っているのですか?誰が何の為に発信しているのでしょうか?

SNSの発信者の多くは、フォロワー稼ぎやいいねを沢山貰えるために情報を見たままそっくり発信しているかもしれませんし、本気で自分が「これが正解だ」と思って発信している人もいるかもしれない。

後者の、これが正解だ!私には合っている!ダイエットや美容治療に成功して幸せになった!など、成功体験を持って発信している人に問いたい。それは、あなただから、成功体験になったのであって、全員がそうなれるとは、あなたは言い切れませんよね?という事。

幸せになってもらいたい、その気持ちは素晴らしいものですよね。でもカタチとして誰がどんな風に幸せを感じて幸せのカタチを作るから人によって違うというのに、痩せていたり綺麗でいたり、完璧に見える生活を送ることが幸せになれる、というのは価値観の押し付けでしかなく、誰かを不幸にする発言かもしれない、発信する側は言葉や見てる誰かの生活を考えて言葉を選ばなければならない。そう思います。


ビジネスとして「僕たちは痩せ姫を生み出しています」と言わんばかりにダイエット、ダイエット、痩せろ痩せろ痩せろという印象を与えてお金に変えている方々には私の言葉では何も変わらないかもしれませんが、買い手が「何のため?」って疑問に思う気持ちがあれば、買わなくなったらビジネスは破綻します。買う人がいるから痩せを売る人がいるんですね、自分に必要ない、他人にも容姿が全てではないと思う気持ちがあるのなら痩せ文化を止める方に加担してください。

何気ない一言もそうです、息を吸って吐くように「太った痩せた可愛くなった垢抜けたい綺麗になりたい」そう言っている人は無自覚にも見た目に毒されているのでしょう。それは本人が悪いとかではないんですね、これまで書いたように我々の意識とビジネスと社会問題の話であって本人が自由な心でいられるような場所なら見た目の事なんか気にしてもないでしょう。

要はこういう見た目が変われば自分の何かも変わり、そして幸せにまでもなれちゃう、なんていうがなぜか「当たり前」そして「努力」とされて伝わっている今。

これは、この先続くのでしょうか?我々が大人になり親になる年齢になった時、子供にも同じことを伝えるのでしょうか?痩せていなさい、太ったら惨めよ。そんな事、言うのでしょうか?我々が大人になって「他に大切なもの」ができたり「自分の幸せの形」が容姿ではなく何か違う事と気付いた時、振り返って私はどうしてあんなに痩せに執着していたのだろう?と思う人もいるかもしれません。でも、これを当たり前として美学として努力と思っている人が、仮に大人になり次の世代にも価値観を助長、押し付けてしまったら、どうなるのだろうか。

我々が日々目にする情報も大人が、若者に発信してる場合が多い。紛れもなく、止まらないサイクルが日本には存在してしまっていると思う。

どの国に行っても、見た目に対する偏見や差別はありますが同じ黄色人種でありながら、人の違いに対してより繊細的で敏感なのは、あまり違いがないから、とも言えますよね。だから目がでかいとか二重とかまつ毛長いとか毛が薄いとか背が低いとか色々な小さな事に敏感になり、小さな事でしか人を評価できないようになっているんだと思います。

少しでも多くの方がこの誤認識や異常な痩せ姫助長JAPANの考え方に違和感を持って、自分のことや他人のことを違う視点から考えられたら、皆んなが救われる、そう思います。

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