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ショッピングモールで洋服が買えなくなった話

新年というと、年明けのお笑い特番であったり、箱根駅伝であったり、高校サッカーや大学ラグビーであったり、独特のテレビ文化がありますよね。
僕も例に漏れず元旦はおもしろ壮で新人の芸人さんのネタを見るのがお決まりになっているし、花園(高校ラグビーの甲子園のようなもの)の試合は毎年テレビで見て、「来年は現場で見たいなあ」と思ってから4年が経ちました。

また、なんやかんやで毎年ショッピングモールやらデパートの初売りにも顔を出してしまいます。どうしても衝動買いの癖が直らず、ミニマリストを気取るにはあと人生を5周しなければなりません。

毎年のように学習をしない僕は、大体この時期になって「冬って意外と寒いな」と気づきます。それは季節の変わり目というわけでもなく、なんなら冬から春にかけて各ファッションブランドも雑誌も衣替えを始める時期に近いかもしれません。ただそれでも消費者というのは、10年後に自分が気持ち良くなることよりも、今すぐ気持ち良くなりたい傾向がありますので、「寒いな」と思ったらすぐに冬服がほしいわけです。だからこそショップとしては来季の新作を見せつつも、すでにシーズンとして終わりつつある冬服を「SALE」として安く売るわけです。
こう考えると、実はどのショップもSALE価格で売るところが本命なのかもしれませんね。僕ら消費者はよくわからない福袋やら初売りセールにまんまとのせられているのです。
昔の偉そうな人が「その商品を購入するのに悩む理由が金額であるなら買え、その商品を購入する理由が金額であるなら買うな」などと語りかけていたのを思い出します。

さてさて、そんな僕は今年ものこのこショッピングモールに足を運びました。某有名財閥の不動産が運営しているショッピングモールですので、たいていみなさんがご存知のようなブランドが軒並み名を連ねています。
僕もたぶん昔は好きでした。
しかし来てみるとどうでしょう、どれもこれも全く僕の興味をそそるようなものではありませんでした。

※ちなみにここまで書いて断っておきますが、僕はショッピングモールや小売店がだいきらいというわけではなく、単純に嗜好が変わってしまったことを言いたいだけなのであしからず。したがってブランドを名指ししたり、それ自体に対して何か言及するつもりはありません。

なぜ自分は興味をそそられなくなったのか、考えてみると色々あるのですが、それはモールという施設そのものの機能と僕との相性や、ショップとしての性質と僕との相性などの「ずれ」にあるのかもしれません。

かつての僕には、「そのショッピングモールはこの店とこの店とこの店があるから、こういう順番で回って見ていこう」みたいな決まりがなんとなくありました。
そうして1Fから4Fまで順々に見ていき、フードコートや併設されているカフェでゆっくりする、というのがだいたいのパターンでした。
しかし最近では、「このショップに行けばこういう服が手に入る」という期待よりも、「なんかよくわからないけれどすごいものを見つけてしまった」という一期一会のような、運命の出会いのようなものをショップに求めるように無意識の内になってしまった、という違いがあるのかなと思います。

もちろん、「このショップだとこういう服が買える」というのは大きな価値です。それは顧客の潜在ニーズにきちんと応えていることの証でもあります。企業はそれを追究して当たり前なのです。
しかし、僕が求めるのはそういう「安定した購買体験」ではなく、「マジではずれしかなかったけど、あの店員さん面白かったな」とか、「世の中にはこんな服があるのかあ」という知的好奇心の充足であったりとか、そういうものへと変化してきているのだなあと身を以て実感しました。

「ただ」買うというところから、「あの仲良しの店員さんが勧めてくれるから」買うとか、「思いがけない新しい嗜好の発見によって」買うとか、そういった体験へと価値観がシフトしている、ということです。

また、これは完全に僕の趣味嗜好なので一概にはいえませんが、そういった安定した製品の訴求が前提であるからこそ、よりパーソナルな領域、細かくセグメントを切って訴求していくのは、ショッピングモールには難しいのだろうなということを痛感しました。

僕はどちらかというとジェンダーフリーな服装を好むので、男性っぽさとか女性っぽさを無視して、服そのものとしてそれらを吟味します。したがって、「レディース専門」の店や「紳士向けファッション」みたいなお店に入るには、どうしても足が止まってしまいます。
「何着るのもお前の勝手なんだから好きにしろよ。そうやって勝手に差別意識を紐づけているのはお前だろ」と言われそうなのであんまり多くは続けませんが、やはり女性向けのエリアを1人で物色しながら、商品を触ったりすると、店員さんや他のお客さんからは白い目で見られます。
気のせいかもしれませんが、今日行ったショッピングモールでそういう服が好きだという話を販売員さんにしたところ、「やっぱり男性はかっちりした服を着たいじゃないですか」と言われ、やっぱりそうだよな、と肩を落とした次第です。

とはいえ、そういうより個人に近い単位への訴求というのは、大型商業施設ではなく、ZOZOTOWNのようなECサイトや、小さなブランドのポップアップストアなんかが役割として担っていくものだと思うので、僕はこれからはそういうチャネルでものを購入することが増えそうだなというだけですね。

結局何も買えなかったのですが、自分がかつて安い時期に買いまくったり、丁寧な作りではない商品を安く購入してすぐダメにしてしまい、なんだか毎月服を買っている状況というのは、昔から考えるとだいぶ減ったなという感触があります。去年なんて、ほとんど何も買いませんでした。
4年使ったチェスターコートを捨てて、新しくローブコートを購入したのが、洋服では一番高い買い物かな。

それはそれとして、少しずつ自分が本当に求めるものが外部環境によって浮き彫りになりつつあるというのは、結果として見ればよいことなのかなと思います。

相変わらず浪費癖のあるだらしがない生活をしていますが、日々の中で「自分が好きであるものがわかる」、というのは、月並みな言葉ではありますが「幸せ」なことなのかもしれません。

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P.S.このコーデュロイシャツ、もはや僕のトレードマークになってしまっているのですが、これは亡くなった祖父が生前着ていたものです。
着すぎて襟が擦り切れてしまいましたし、なんだかLACOSTEのニセモノみたいなロゴがついているのですが、今でもお気に入りのアイテムになっています。

2020年1月3日
オチのないショートショート.


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