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自分の写真を改めて「観る」

写真を撮る、という行為は、平たく言えば「アウトプット」であって、写真を観る、という行為は、平たく言えば「インプット」になる。

それを別の表現媒体に言い換えると、アウトプットは文章を書くことであったり、音楽を演奏することで、インプットは読書や音楽鑑賞という具合に振り分けられると思う。

僕は文章を書きながら、写真を撮影する人間でもあるので、写真を撮影することだけでなく、「観る」という行為にも重きをおいている。
ちなみに、僕の勤めるLovegraphという会社は出張撮影事業をメインに行っていて、そこで活動するカメラマンも、基本的には自社で育成することを前提においていて、そこでは「見る・撮る・見せる」という3つのアクションのサイクルを回すことで、最も効率よく写真の技術を学習できると提案している。

写真を撮影する技術を向上させるのに、シャッターを切ることはもちろんのこと、それ以上にどんな写真を見ているのか、ロールモデルにしているのか、ということは、撮影技術やディレクション能力の成長に対して、意外と大きく寄与している部分でもある。

そういった、「ハウツー」としての写真を見る行為が大切であることは言うまでもないことなので、今回はそれとは少し離れた意味合いの中で、写真を観る行為について検討しようと思う。

そもそも、写真が写真として生まれたとき、その写真が示していることはなんなのか?ということを考える必要がある。

例えば、この写真はある施設にあったトイレを撮影したものである。
僕がこれを撮影したあと、それを見て何を思い出すのか?何が知りたくてシャッターを切ったのか?ということを見つめ直すことが、今回言及している「観る」という部分にあたる。

写真は撮った時点で、すでに撮影者が何かしらの感情を備えていたこと自体は確認できるけれど、それがなんなのかまではわからないし、実際のところは本人に聞かない限りわからないだろう。

とはいえ、インプットや学習という観点から少し距離を置いて、改めて写真を捉えるとき、また違った視点で発見できることがいくつかある。

上の写真は僕がiPhoneで撮影したものだけど、なぜわざわざiPhoneを取り出してまでこれを撮影したのかについてのヒントは、意外と写真が語ってくれたりする。

今回の場合で言うと、おそらく被写体は真ん中に写る便器で、これに何かしらの感情を抱いたのだと思う。
そう考えると、そういえば僕は便器の内側と外側の曲線に照らされる光がいいと思ったのだ、ということを思い出す。

いい光だから撮った、というだけなら、構図であったりトイレでわざわざ撮影する必要はあんまりない。ではその場所にこだわった理由はなんだろう?

こうやってどんどん深掘りしていくと、次に見えてくるのはトイレという場所性である。
トイレというと、汚い場所、排泄をするための場所、あるいは記号的な意味合いでいうと、人々の見せたくない部分が集まる「隠れ家」という見方もある。

ただ壁に差し掛かる光も美しいし、それらは単純に比較できるものではないけれど、そんな「一見すると美しさという概念から遠い位置にある場所としてのトイレ」に入る光は、ある意味で普段見る綺麗な光より殊更輝いて見えたのではないか、という仮説さえ立てられる。

そうか、僕は「トイレは綺麗なはずがない」という固定観念をこの光によって覆されたのか、ということを、もしかしたらこの写真を撮影した時に思ったのかもしれない、伝えたかったのかもしれない。

「自分のこの写真の色味が好きなんだよな!」
「○○の写真の質感が好き!」

というように、全体として写真を認めることはあっても、「写真に写る被写体の表情がなぜその表情だったのか?」「なぜ空は緑がかっているのか?」という視点で写真を見ると、自分が大切にしている価値観、無意識に常識だと思っていた写真への向き合い方に、メスを入れることができる。

当然、メスを入れることが正しいのではなくて、これはひとつのトレーニングや、趣味の一環とも言えるかもしれない。
意外と自分が好きなものはなんなのかわかっていなし、自分が撮影した写真は、そもそもなぜそれがいいのか、なぜ撮ろうと思ったのか、そのレベルまで掘り下げていくことはあまりない。
その階層までシャベルを突き立てていくと、思いがけない形で自分の美意識の源泉を掘り当てることができる。

そういう源を見つけたとき、写真を撮ることだけでなく、読者や音楽鑑賞にもレバレッジはきいてくるし、当然それは、良質なアウトプットを生み出すトリガーにもなる。

日本人はアウトプットすることが苦手だからこそ、まずアウトプットすることの重要性をを声高に叫ぶことが最近の流行りなのかもしれないけれど、アウトプットが苦手なら、たいていインプットも苦手だったりする。(僕の場合は完全にこれだった。)

今一度、数枚でもいいので、自分が過去に撮影した写真の思い出や、その写真の良さを自分で観察することをオススメしてみる。きっと、自分の見ている視点のユニークさに、思わず興奮してしまうと思う。それに気づいたとき、写真を撮ることが、観ることがもっともっと楽しくなる。

2020年1月6日
オチのないショートショート.


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