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天狗と隕石


能楽には、天狗の演目があります。

下記は、大会(だいえ)という能楽の演目の

あらすじです。


比叡山中に、一人の僧がいました。

僧は日々、天台の教理を探究し、三昧の境地に

て過ごしていました。

或る日、僧のところに一人の山伏が訪ねてきま

した。

以前僧に命を助けられた者だと言い礼を述べ、

その恩返しとして、望みがあれば叶えようと

申し出ました。

僧は、釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で

法華経を説いたときの様子を見たいと

所望しました。

霊鷲山は、釈迦が法華経を説いた山で、山頂が

鷲に似ているそうです。

山伏は、それならば叶えるが、それを見ても

決して信心を起こしてはならぬと言うと、

そのまま姿を消してしまいました。

天狗が扮する釈迦如来は、螺髪(らはつ)の

大仏の能面に僧の法衣を纏っていました。

聖徳太子の法要などでは、大仏のお面でずっし

りと重い法衣の場面がありますが、大仏のお面

では視界が狭く、歩行が困難なためでしょう

か、側近が姿勢を支えるように誘導されていま

した。能の舞台では、それほど大仏のお面が

負担になることはなさそうです。

お釈迦様が法華経を説いている場面は、螺髪の

大仏様が法華経を紐解いた状態で微動だに

せず、静止画のようでした。

お釈迦様が法華経を説いた様子を見た僧は、

その途端に手を合わせて拝んでしまいました。

そのとき、大地がにわかに震え、天狗たちが

神通力によってみせていた説法の座は消え失せ

てしまいました。

天狗たちはもとの姿に戻ってしまい、恐怖に

おののき慌てふためきました。

そして、天界から仏法の守護神、帝釈天が降臨

して、天狗に叱責しました。これほどの僧を

幻惑し、たぶらかすとは不届き者だと。

帝釈天と天狗が舞台で対峙しました。

帝釈天の威力は天地に轟いて、帝釈天は天界へ

帰ってゆき、天狗は一目散に退散しました。


天狗の由来は隕石です。

古代中国では、天に災いがあると災忌が訪れる

予兆として考えられ、天狗もそのひとつとして

恐れられていたようです。

「山海経」では、天愚という山の神を記し、

雨や風を司る。

山に住み、風や雨を治める能力があることを

示します。

鼻が高い天狗の原型は、舞楽面や伎楽面を考え

るのが通説とされています。

日本書紀には、「大きなる星 東より西に流

る。音有りて、雷に似たり。

時の人曰く、流星に非ず。是天狗なり。

その吠ゆる声 雷に似たらくのみ。」と記し、

流星を天狗と表現しています。

また、日蝕や彗星の出現は、不吉な出来事の

予兆とされています。

「漢書」には、「国の政治が間違っていれば、

天は災害を起こし、反省がなければ怪異で警告

する。なおも正さないなら、国は大いに損なう

ことになる。」とあります。


天狗は、中世になって仏法を妨げるもの、とい

う認識がありました。

比叡山の僧と山伏、天狗、そしてお釈迦様の

登場は日本に古来から仏画があるように、

能の舞台を通して仏教の教えをわかりやすく

伝える意図があるのでしょう。

江戸時代に天狗は羽団扇を使い、日を自在に

操ると信じられ、火事は天狗の仕業と考えられ

てきました。そのため、火事を防ぐために神様

として祀られるようになり、天狗経もありまし

た。天狗に日を自在に操る権能があるとするな

ら、帝釈天が慢心を諌めるのも致し方ないでし

ょう。

















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