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神鹿の節分

節分は立春の前日です。
旧暦の立春が新年であったため、その前日に
厄払いのために始まったのが由来です。
奈良の興福寺の節分へ。
節分の追儺会(ついなえ)の拝観に並び
興福寺に春の兆しがたゆたう。
興福寺の東金堂の扉が開陳されていて、
僧侶がお参りになられていました。
ほのぼのとした空間が甦りつつあり
鹿は自分が神鹿であることをよく悟っていて
節分の会場へ毅然と歩みます。
鹿煎餅をあげると、御利益がありそうです。
 鹿の神道美術で、春日鹿曼荼羅図があります。本地垂迹思想によって、平安時代後期から宮曼荼羅、あるいは社寺曼荼羅と呼ばれる垂迹絵画が
制作されました。春日明神は鹿島から奈良へ
鹿の背に乗り飛来したことに由来します。神鹿の榊に縣けた鏡を御神体とし、そこに十一面観音が中央に描かれています。
節分にちなんだ節分曼荼羅という美術があっても良いかと思われます。

伽藍堂、という言葉があります。
寺院の中で伽藍神を祀ってあるお堂の伽藍堂に
由来します。
広々としてがらんとしている状態の意味です。
伽藍神は興福寺では、春日明神です。
興福寺は春日神社から勧請を受けたのです。
神仏習合のためなのでしょう。
空間にびっしりと仏像が配置され、
節分の会場は伽藍堂の言葉の意味とは
対極を示しています。

興福寺の鬼払い式は夕刻から。
赤、青、黒の3匹の鬼が松明をかざして登場し、酒盛りをして暴れているところへ毘沙門天が現れ、法力で退治します。
続いて、大黒天が打出の小槌を持って登場し
小槌を振りながら参拝者に福を授けてゆきます。
興福寺の節分のお面はかなり古い時代のもの
らしく、聖徳太子の面影があります。
鬼払い式の後の豆まきは、コロナ禍で省略されましたが、節分の福豆を授与しました。








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