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落語がみせるマボロシ(つづき)

公演で落語を扱ったからと
前回は、私がいかにして落語に触れてきたかの話をしました。

この期間に卒論を引っ張り出し読み直してみることに。
持論はともかく、落語の歴史解説としてはよくまとまっていて
今さら勉強になりました。

過去の自分に教えてもらうなんて、まぬけな話です。

でも恥ずかしいぐらいに、考えていることは今とそんなに変わらないんですね。

時代とともに変化する落語

歴史的にみても、落語は一体感を生み出しやすい芸です。
それは寄席が開かれた時間や場所にも由来します。

昼席は歌舞伎に比べて安価な入場料として親しまれていましたが、
その真骨頂は夜席にありました。
民家の2階、ごくごく狭い部屋で、明かりはろうそくや行灯だけ。
ほのかな明かりはぼうっと演者を照らす・・・

今考えると、怪しげですね。
暗いってだけで肝試しみたいなドキドキ感があるし、
部屋の中は興奮度合いも集中力も高まっていたことでしょう。

しかも鳶の頭のお宅なんかでやることが多かったので、
客席は仲間うちや取引先といった関係者だらけだったかもしれません。
昼は仕事をしている職人や商人たちが、夜席に集まりやすかったんですね。

そうなると夜席のお客さんのターゲットは絞られていって、
自然と落語も彼らを喜ばせる内容になってくる。


ほら、落語にはやたら職人や商人が多く登場しませんか。
きっとお客さんは聞きながら「あ、○○棟梁のことだ」とか思ったんでしょうね。

つまり落語は集団に「仲間意識」を表象するメディアだったと言えるわけです。

流行に乗って職業落語家になった人が
元は職人や奉公人だったということも関係しているでしょう。


相手が喜ぶような、その場を盛り上げるような話をすることは
芸人として生きていくには必要な技術でした。
もちろん現代にも通じることだと思います。


今となっては「仲間意識」を感じる機会は減ってきたように思います。
多様化する価値観、仕事も生き方も人それぞれです。

朝食にはごはんという選択肢しかなかった鎖国時代に比べて
今はパンやシリアル、コーヒーだけっていうのもアリ。
それは物的豊かさの変化でもあるけど。

大家さんが独身者の結婚の世話もしてくれる江戸時代に比べて
今は結婚が絶対ではなくなっている。
というか、もはや大家さんの顔すら知らないこともある。

時代が変われば、当然、考え方も変わります。
現代には現代なりの共通認識はあるでしょうが
出生や暮らしや職業が重なるような「仲間意識」は減っているかもしれません。


あるいは世の中の共通認識を「常識」と置き換えたとき
いつも思い出すエピソードがあります。
オードリー若林が、ラジオでぺこぱについて語った話。

常識が強い時代の方がツッコミって強い・・・
「多様性を飲み込む、受け入れる」ということに対してめちゃ相性が悪いと思う

みんなが共有する(少なくとも共有してると思ってる)常識から外れる人に対して
「それちがうでしょ」と指摘する時代が変わりつつある。
いや朝はごはんだろ・・・と言えなくもない、という受容。
あ、私はぺこぱ好きです。

だから時代とともに落語の噺もどんどんバージョンアップ、新作も生まれています。
柳家喬太郎『コロッケそば』なんて抱腹絶倒ですよ。
立川志の輔の名作も挙げたらキリがないです。
若手もどんどん創作をしているらしいので、おすすめあったら教えてくださいね。


現代にも通じる落語

時代とともに落語は変化しているのに
なぜ今でも古典落語がかけられるのでしょうか。
というか、なぜ現代でも江戸の常識(?)が通用するのでしょうか。

補足しておくと、古典落語といわれる噺の多くは
近代落語の祖である初代三遊亭圓朝(幕末~明治に活躍した落語家)が古典や洋書を参考に創作したものです。
だから厳密には江戸時代の~という文脈では語れないかもしれませんが、
多くは当時の風俗を残しているので、そのように話を進めていきます。


なぜでしょうか。

ひとつは
人間が本来持っているものを語っているから

お金がほしいとか、お宝を自慢したいとか、女にモテたいとか
そういう気持ちって現代にも通じてるし共感できる。


もうひとつは
話芸ならではの一緒に想像するという遊びに重きを置いているから

もうストーリーなんて要素でしかなくて、大事なのは一緒に想像すること。
落語家の人間性や技術に酔いしれて、耳を預けてしまう体験自体が面白い。


だから時代が変わっても
どれだけアドリブを入れても
落語家が勝手に結末を変えても
笑ってしまったり、泣いてしまったりするみたいです。

その身ひとつ、あるいは手ぬぐいと扇子だけで演じ切る
人間そのものを語る落語
想像を楽しむ落語

・・・私は好きだなあ。


身近に落語を楽しむ

そうはいってもコロナ禍。
寄席では制限・休業を余儀なくされて、苦しい営業を強いられています。
クラウドファンディングも呼びかけています。

寄席だけでなく、どの落語家さんも自身でイベントを企画したり
ライブ配信を駆使したりと工夫されています。

落語芸術協会と落語協会のスケジュールのページは毎日興行が埋まっていました。
私も初めて見たけど、こんな情報ページあったんですね・・・

https://rakugo-kyokai.jp/rakugokai/
(なぜか埋め込みできない落語協会・・・)

CDやDVDのほかにも
TVやラジオで落語を聴く機会はあります。

2016年、二ツ目だけの寄席番組『ミッドナイト寄席』に続き
2017年には『ミッドナイト寄席ゴールデン』が放映されていたそうです。
当時の私はそんなこと知らなかったので
たまたまAmazonPrimeVideoで『~ゴールデン』を見ました。
1本が13分なので、上り調子の若手をたくさん見るにはピッタリです。


YouTubeチャンネルの神田伯山ティービーでは
真打昇進襲名披露パーティーのシリーズにて、寄席の楽屋にカメラが入りました。
前座さんの働きぶり、出演者のリラックスした様子、師匠たちのカッコ良さ
寄席の空気を感じたい人には面白いと思います。


ほかにも落語を扱った漫画や映画も数多くあるので
入りやすいところから楽しんでみてもいいかも。

とにかく私が言いたいのは
想像するという遊びを、ひとりでも多くのひとと分かち合いたいということです。

つらい時期はしばらく続くけど
落語に出てくるひとに元気をもらっていただければと思います。

私、落語家じゃないんだけど
そこんとこ落語家さん、よろしくお願いします。

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