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喉から手が出るほど 2008.11.08

「喉から手が出るほど、この賞が欲しかった。」
1985年に第94回直木賞を受賞した林真理子はそう言った。実に4年連続で候補に挙がっての受賞だった。「この数年間、この賞を獲るためだけに書いてきた。」確かこう続いたと思う。これには賛否両論、彼女をたたく記事も多くあった。
このコメントを聞いたとき、私はとても驚いた。だから今でも鮮明に覚えているのだが、「信じられません、ありがとうございます。」「私のような者がもらえるなんて思ってもみませんでした。」等々、本心なのか、謙遜なのか、そんなコメントばかり耳にしてきた私は、自らの欲に対して正直な発言に面食らったのだ。
日本人は大概が「表向き」とか「立て前」とか、そういうことを気にする。それを悪いとは思わない。人間、皆が自分の思うままを口に出していたら、とんでもないことになる。そういう気遣いが「奥ゆかしさ」にもつながるのだろう。

作家や芸術家に明確な基準はなく、また資格などで線引きされるような職種でもない。自分が絵を描き、「画家」と名乗れば間違いなくその人は「画家」であるし、作品を書き続けていれば、たとえ本に載ることがなくても「作家」なのかもしれない。ただ、好きなことを仕事にして生きていくためには生活を成り立たせるための収入が必要になる。だからこそ、売れたい芸術家は名のある賞にエントリーし、世に出たい作家はまずどこかの新人賞を目指す。賞を獲ることが仕事への早道であったり、ネームバリューがギャラのアップにつながるからで、「好きなことで飯を食って」いくためには「自分に箔を付ける」ことはとても重要なことだろう。

私は作家でも芸術家でもないが、評価の基準がない世界で仕事をしているから多少なりともその気持ちは理解できる。受け取る側の「好き」か「嫌い」かが評価を左右する危うい世界だ。
小説にしろ絵画にしろ「無欲」というかピュアな心のままで向き合った方がよい作品が出来る、というようなイメージがあることも否めない。受け手もそこに価値を見いだしたりする。
前述とはまるで真反対のことを言うが、賞を渇望することは、果たして悪いことなのか?答えはNOしかない。
自分の創り出したものが評価されることは誰しも望むことだ。
その気持ちをハッキリと表した林真理子に驚き、「直木賞が欲しい」と望んで本当に勝ち獲った彼女の力量を羨ましく思った。

そんな古い話を今頃なんで持ち出すのか、と言えば・・・
最近諦めることの多い私への問いかけのためだ。本当に諦めなければならないギリギリの所まで頑張っているのかどうか、「仕方がない」と言い訳をして楽な道を選んでいないか、そんなことばかりが気になる。
私にも欲しいものがたくさんある。が、何ひとつまだ手にしてはいない。周りにいるたくさんの人がいろいろなジャンルで成果を上げている中、自分だけが「何をしているんだろう」と不安になってしまったのだ。
人それぞれのペースがある。解っているつもりでもめちゃくちゃ焦る。

「絶対に欲しい」そう願うものは、手にする努力をしなくてはならない。その過程で
必要ないと気付くものもあれば、これ以上は無理だと諦めてもいい。

私は、今、諦めてはいけない。

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