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『銀河の向こう』

まったく、金さえ払えばいいってもんじゃないんだよ。
俺たちゃ、お前らのストレスの吐け口じゃないっての。
ほんとに、今日は出だしから嫌な客ばっかりだんだ。
行き先聞いただけで、このヤローとか、どうしろってんだ。
タクシーってのはな、乗せていただいて、行き先を運転手様に告げてだな、道中は大人しくして運転の邪魔をせずに、運転手様がお話しになれば、丁寧にお答えをして、目的地に着けば、頭を下げて、代金をお支払いする。
そんな乗り物なんだよ。
昼間に何があったのか知らないが、さんざん飲んできたんじゃないのかい。
それでも、まだ、運転手にあたらなきゃ足りないってのかい。
そんな、善悪の判断もできないくらいに飲まなきゃやってられない会社なんざ、辞めちまえばいいのさ。
お前、何で信号でとまってるんだ。
お前、何でそこ逆行しないんだ。
お前、何でカーブで曲がるんだよ。
お前、何でこんな料金になるんだ。
お前、何で俺の家を知らないんだよ。
そんな客ばっかりだったから、ほっとしたんだ、このお嬢さんに乗ってもらった時は。
行き先も、遠からず近からず。
こんなのが、一番効率がいいんだよ。
遠いってだけで、ふんぞり返る奴がいるけど、まあ、こんな狭い車内で世界とった気になれるんだからな。
遠いからって、遠すぎれば、その道をまた空で戻らなきゃならないんだよ、お客さん、だから、あんた、ちっともありがたくなんかないんだよ。
そう言ってやりたいよ。
そうかと思えば、どう見たって歩いた方が早いところをわざわざ乗ってきて、挙げ句の果てには遅いだの何だのと。
そんな客に比べれば、このお嬢さんのお行儀のいいこと。
行き先を告げてからは、大人しくおねんねだ。
もちろん、いびきなんかはかかない。
うっすらと開いた唇は、ご愛嬌ってものさ。
ナビに住所を入れて道順を確認すると、お任せしますってな。
眠れる美女と、深夜のドライブだ。
まあ、これくらいの役得がなけりゃあ、やってられません。
深夜の高速道路を、美女の夢を乗せて、このまま銀河まで。
なんだか、詩人になっちゃうね、こんな時は。
たまにあるけどな。
あのカーブを曲がらずに突っ込んで、このままお星様になっちまいたいって時がね。
でも、今は違う。
このお嬢さんを無事に送り届けなければ。
おっと、もう降り口か。
ここから国道に出てと。
そして、あそこのコンビニを右だな。
ああ、名残惜しいなあ。
でも、これで今日の仕事も上向くかも知れないぞ。
さて、この空き地の角でと。
お嬢さん、じゃない、お客様、着きましたよ。
ほら、寝起きの顔も絵になるぜ。

運転手さん。

ほらほら、来たぞ、お礼なら会社の方にお願いしますよ。
こちらの株も上がるってもんだ。
それにしても、いつのことか知らないが、こんな可愛い声で毎朝起こしてもらえる野郎が羨ましいぜ。

運転手さん、わたし、お金ないから、よかったら代わりにわたしの首締めてくれていいよ。

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