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『最後のマスカラ』 # 毎週ショートショートnote

もう、わかっている。
普段は絶対に自分から連絡して来ない彼なのに。
わかっている。
彼の悪いうわさをわたしに聞かせた人は、多分このあと、わたしに言うだろう。
言わんこっちゃないって。

最後くらい、きれいになりたい。
中島みゆきの歌みたいで嫌だけど。
でも、もう二度と会えないのなら、きれいなわたしを覚えていて欲しい。
普段は使うことなんかなかったマスカラに手を伸ばす。
多分、マスカラを使うのはこれが最初で最後だろう。

待ち合わせは、初めて会った時と同じ喫茶店。
あの時と同じ、いちばん奥の席。
あの時と同じように、客もまばらだ。
彼は黙っている。
わたしも何も言えない。

彼が、ふいにポケットから何か取り出した。
えっ?
思わず声が出そうになる。
彼が小さなケースを開けた。
「こんな俺だけど…」
わたしは、彼が話し終わるよりも早く頷いた。
「ありがとう。それと俺…」
彼がまた少し黙った。
「俺は、マスカラ、ない方が好きだな」
やっぱり、最初で最後のマスカラだ。

※設定は中島みゆき「化粧」と吉田拓郎「外は白い雪の夜」ですが、結末は違います。

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