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赤ちゃん言葉は必要か

赤ちゃんもいないのに、赤ちゃん言葉が聞こえてくることがある。
病院や介護施設でのことだ。
そこで、看護師や介護士が、老人に対して使っている。
「あらー、よくできまちたねー」
「そうでちゅねー」
声も、普通よりも何オクターブも高くなっている。
今時、幼稚園でももう少しまともに話しているだろうと思う。
これを聞いていて不快に思うのは僕だけだろうか。

老人は弱い、弱いは赤ちゃん、赤ちゃんには赤ちゃん言葉、だから老人にも赤ちゃん言葉、こんな連想でも働くのだろうか。
いつの間にか、老人には赤ちゃん言葉というのが、固定観念になっていないだろうか。
あるいは、人間には、自分よりも弱い人間には赤ちゃん言葉で話かけてしまうという本能でもあるのだろうか。
それなら、それはより意識して改めて欲しいものだ。

「わしはのう」
などと、自分のことを「わし」という老人には、実際出くわしたことがない。
「そうじゃのう」
こんな言葉遣いの老人も見たことがない。
しかし、小説やアニメなど、フィクションの世界ではよくこのように描かれる。
これも、いつの間にか出来上がった固定観念、ステレオタイプに他ならないだろう。
それと同じように、老人に対する看護や介護のときには赤ちゃん言葉というのが、ステレオタイプになっているのかもしれない。
そして、看護師や介護士はそれをなぞっているだけではないだろうか。
まさか、そんなマニュアルがあるわけでもないだろうし。
丁寧に、優しく話すのと、赤ちゃん言葉とは、イコールではないはずだ。

僕も、老人には違いないので、こんな扱いを病院で受けたことがある。
いちいち何も言わないが、不快でしかない。
気分は不当な扱いの「被害者」だ。
普通に丁寧に接してもらえればいい。
赤ちゃん言葉で言われなくたって、わかることはわかるし、できることはできる。

それは、現場を知らないからだと言われればそれまでだ。
体の弱くなった老人に動いてもらう時、認知症のある老人にわかってもらう時、これがいちばんいいのだと言われれば、もちろん返す言葉もない。
でも、やはり、何か違うと僕は思うのだ。
大袈裟に言えば、人間の尊厳のような問題だ。

とにかく、僕は断固拒否したい。
老人ホームに入るようなことがあれば、
「私には赤ちゃん言葉を使わないでください」
そんな札をぶら下げて歩いてやる。
そんなことをすれば、たちまち認知能力を疑われるかもしれないが。

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