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『町のホタル』

夜になりみんなが寝静まった頃、
彼女はそっとひとりの部屋を出た。

足音を忍ばせて、早足で歩く。
行先は決まっているようだった。

胸には小さな財布を抱きしめている。
うつむきかげんの顔には期待と不安が表れていた。

角を曲がった先には、
四角い灯りが暗い通りに浮かび上がっていた。

さて、ここでもう少し上空から眺めてみよう。

おやおや、町のあちらこちらで、
同じような四角い灯りを目指して歩いている、
少し疲れた若者たち。

灯りの中に入ると、財布から、あるいはポケットから出てくるありったけの小銭。

あちらでは勢いよく、こちらでは震える指先で、あるいはためらいがちに、
ダイヤルを回し始めた。

彼女は受話器のコードに指をからめながら、
笑顔で話している。

あちらの彼はなんだか不機嫌そうだ。

こちらでは目を閉じたまま何も話さない。

ああ、あそこでは座り込んでしまって、
震える肩先は泣いているのか。

もう少し高みから眺めてみよう。
ほらほら、
彼らを包む四角い灯りは、
深夜の町に漂うホタルのようだ。



「これはね、昭和という時代の電話ボックスのお話なの」
「おばあちゃん、電話ボックスってなあに?
 どうして笑顔なの?
 どうして不機嫌なの?
 どうして黙っているの?
 ねえねえ、
 どうして泣いているの?」






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