この夏、アロハで吉野家に行こう
中高生の頃、明治、大正、昭和の初期あたりの、いわゆる文豪の小説やエッセイを読んでいると、かなりの頻度で出てきたものがある。
「牛めし」なる食べ物だ。
当時、京都や大阪の、僕の行動範囲には、吉野家はまだなかった。
定食屋のメニューにも「牛めし」はなかった。
ただし、肉丼があった。
それを、「牛めし」だと言い聞かせて食べていた。
東京で「牛めし」を食いたい。
それが、東京の大学を目指す動機ではないが、東京に行ったらやりたいことリストの上位には入っていた。
「牛めし」を食べれば、自分も文豪の仲間入りができる、真面目にそう思っていた。
そして、浪人の時に深夜流れてきた、中島みゆきのあの歌。
「夜明け間際の、吉野家では〜」
東京には、吉野家という店があるらしい。
もう決まりだ。
東京に行ったら、アロハシャツ着て、シティガールと夜明けに吉野家に駆け込むぞ、ずぶ濡れで。
とりあえず、アロハシャツ買っとこ。
ナナハンは、さすがに無理やけど。
幸い、下宿と銭湯の間に吉野家があった。
だいたい2日か3日に一回の銭湯の帰り道、必ずと言っていいほど立ち寄るようになった。
アルバイト代が入ると、ビールも頼んだりした。
仲間と飲みあかした後、始発を待って吉野家に駆け込むこともあった。
一度、深夜の2時頃に、下宿の部屋の鍵を閉じ込めたことがあった。
その部屋は、内側のチョボを押して外からドアを閉めると鍵をかけられるタイプだった。
トイレで部屋を出た時に、うっかりそれをやってしまったのだ。
当然、鍵は部屋の中。
1階が大家さんの住まいだが、深夜に起こすわけにもいかない。
ジャージのポケットを探ると、たまたま100円玉が数枚あった。
この時間、これで過ごせる店は…
吉野家しかない。
朝まで、牛丼一杯で粘った。
結局、僕はベイビーフェイスの狼でもなかったし、シティガールと肘をついて眠ることもなかった。
食べても、食べても、文豪にはなれなかった。
けれども、吉野家は、青春の思い出の中に、かなりの頻度で登場してくる。
その吉野家が今話題になっている。
中心人物の伊東正明氏は、マーケティングの世界ではそこそこの実績のある人らしい。
吉野家との関係は、2018年にコンサルタントとして独立してからのこと。
救いは、この人が吉野家生え抜きの社員ではなかったことだ。
今回の問題で、解任まではどうかという意見もあるようだが、これくらいの関係なら仕方がないのではないかと思う。
本人はマーケティングにおけるターゲットの例えとして、受けるかなと思ってのことだろうが、この例えは良くなかった。
今回の問題は、伊東氏の経歴を見る限り、吉野家の問題というよりも、むしろマーケティング界隈の問題ではないだろうかと思う。
もしかすると、マーケッターたちの集まりでは、このような言葉や例えが笑いと共に常套的に使われているのではないだろうか。
それこそ、知らんけど。
内輪だけならどんな言い方でもいいじゃないか。
そんな意見もあるかもしれない。
しかし、社会を変えていこうとするならば、そうであってはいけないし、自ら律するべきだ。
僕が勤めていた会社では、どんなレベルの会議でも、たとえ立ち話であっても顧客を「お客様」と呼び、それを崩すことは許されなかった。
そうしたことは、企業や集団のDNAとして受け継がれていく。
それにしても、「生娘」などという単語、もう死語ではあると思うが、それをわざわざ掘り出してくるあたりが、マーケッターの言語感覚なのだろうか。
そうであるならば、それは間違っている。
いずれにしても僕は、ほろ苦い思い出と共に、これからも吉野家の牛丼を何杯も、何杯もかき込むだろう。
ちなみに、僕はつゆだくよりも、つゆの足りなくなったところをお新香でいただくのが好きだ。
そうだ、この夏は、アロハを着て吉野家に行こう。
もちろん、化粧した妻と一緒に。
ここまで書いて、ふと思った。
あの文豪の「牛めし」は、牛丼とイコールなのだろうか。
知ったところで、いまさらどうにもならないけれど。
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