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『消えた鍵っ子』 # シロクマ文芸部

「消えた鍵っ子」
そんな見出しで当時は報道されたものだ。
と言っても、地方紙の小さな記事だから覚えている人は少ないだろう。
ましてや、もう何十年も前のことだから。
この間に世の中は変わった。
今では鍵っ子は珍しくない。
それに、消えてしまう子も。

当時は今のような防犯カメラなど設置されていない。
人ひとり捜すとなると、それは、もう軒並み、聞いて回るしかない。
まさに、砂浜でダイヤモンドを見つけるようなものだ。
母親は、息子と仲の良いクラスメイトなど知る由もなかった。
名簿を手に片っぱしから連絡をした。
電話に出ない家には、時間帯など構わずにドアをノックした。
そして、彼女は、息子に友だちなどいなかったのではないかと考え始める。
徒労なる言葉を、彼女はその時覚えただろうか。
自分にとっては3人目の夫、息子にとっては2人目の父親となる男は、彼女を手伝おうともしない。
ただ、あしたからどうやってこの退屈な日々の憂さを晴らそうかと考えていたのだろう。
中学2年生という、微妙な年齢。
誘拐か、家出か、あるいは何らかの事件、事故に巻き込まれたか。
右手首に林檎のような形のアザがある少年の行方は杳として知れなかった。

そして、そんな少年との恋とも言えない慰め合いを失った少女のことなど、誰が気に留めただろう。
彼から逃げようと誘われた時に、その少女には勇気がなかった。
少年の背中に向かって、生き延びてと祈るしかなかった。
そして、誓った。
わたしも生きてみせると。
誰ひとり味方などいないこの学校で、生きて生きて、生き抜いてみせると。
少年は、口にこそしなかったが、きっと帰ってくる。
わたしを迎えに帰ってくる。
そう信じて、少女が日々、クラスメイトから標的にされることに耐えていたなどと、標的にしている者たちは想像だにしなかった。

娘夫婦が仕事で海外に行く間、その家で孫娘の面倒を見ることになった。
彼女たちが、どうしてわたしの故郷に住むことになったのか。
わたしの事が心配でとは言っているが、それなら一緒に住めばいいことだ。
特に、夫が亡くなってからは、部屋は余っている。
それなのに、わざわざ歩いて10分ほどのところにできた新興住宅地の一軒を買った。
スープの冷めない距離とは言うが、あれは嫁姑のことではないのか。

最初の日の夕方、わたしは孫を迎えに小学校に向かった。
わたしの母校でもある。
以前よりも綺麗になった反面、何となく閉塞感の漂う校門は、それも今風なのだろうか。
生徒が校舎から出てくる。
さすがに6歳もの差があると、身長もばらばらだ。
その中に、3年生にしては小柄な孫の姿を見つける。
孫もこちらに気がついて駆け寄ってくる。
まるで、愛犬が遠くから飼い主を見つけてくれたような嬉しさだ。
思わず校門の中に入り込んでしまう。
娘と一度ハグをして声を掛け合う。
手を繋いで、体の向きを変えた時に、校門の塀の内側にある花壇に気がついた。
小さな花壇だ。
草花に疎いわたしは、咲いている花の名前もわからない。
しゃがみこんで、その花の手入れをしている作業服の男性がいた。
孫が、用務員さん、さよならと声を掛けた。
用務員の男性は振り向くと、笑顔で右手を上げた。
その手首に小さなアザ。
それは薄くなってはいるが、かつてはその手首に林檎の型をくっきりと浮かび上がらせていたであろうことがわかる。
わたしたちの視線が絡む。
それは、ほんの一瞬だっただろう。
それでも、その短い時間とも言えない時間に、わたしたちは遡れるところまで遡ったような気がする。
もう少しで、あの少年の背中が見える。
その時、孫がわたしの手を引いた。

その夜、明日はどんな服を着て行こうかと考える自分に笑いそうになる。
再会の日は、もっと重いものだと思っていたのに。
これでは、あの慰め合っていた頃と同じではないか。
まあいい。
とまれ、少年は生き延びたのだから。
そして、少女も生き抜いた。

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