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『ゆるい坂道』

「ご覧ください、これが『紙』と呼ばれるものです。同じ発音ですが、『神』とはまた別のものです」
そう言って彼は、「紙」を男の前に置くと、タブレットを取り出した。
それに「紙」と「神」の文字を打ち出す。
「中には、『紙』と『神』はその働きにおいて同種のものだと主張する学者もいますが、今のところは、別のものと考えた方が妥当でしょう」
「紙」と呼ばれたものを差し出された男はそれを手に取った。
「深い地層から発見されたものですから、もちろんかなり読みにくくはなっています。ただ、文字や言葉そのものは、大きくは変わってはいないので、お読みになれるかと思います」
男は手にした紙に軽く目を通した。
それは、かすれたり、ところどころ破損された文字の羅列を読むというよりも、軽くその上に視線を滑らせたというだけだった。
「これ一枚ではないんだろう」
「ええ、同じところから、何枚も。中には、分厚く重ねて閉じられたと思われるものもありました」
「で、解読はどこまで進んでいるのかな」
「はい、大部になるために、リーダーに読み込ませて要約させました。それは、後ほどお送りいたします」
「それで」
と男はその「紙」をデスクに戻した。
「それで、その内容は。わざわざ口頭で報告に来るくらいだから、大きな発見なりがあったのだろう」
「ええ、大臣代理。失礼します」
彼は、男とデスクを挟む形でスツールに腰掛けた。

「彼らの文明がわれわれのようではなかったということはご存知の通りです。彼らというのは、もちろん、この『紙』を使用していた、ここに書くという行為をしていた、今から数千年前の人類です」
大臣代理と呼ばれた男は、椅子の背にゆっくりともたれかかった。
「その頃の人類というのは、やはり我々と変わりはないのだろうか」
「ええ、その形状は。この星の生物は当時からほとんど生物学的には進化はしていません。新しい生物も生まれてはいない。むしろ、その数を減らしているくらいですから」
「しかし」
「ええ、しかし、我々人類は文明的には進化しました。そして、その文明を生み出した限りおいて、我々は常に優秀になっていってると考えられています」
「もちろん、そうだ。この高度な文明は、われわれ高等な人類において生み出されたのだからね」
「ですが」
彼は、乗り出した体を慌てて元に戻した。
「ですが、我々に何ができますか」
「どういうことかな」

「発見された『紙』の中には、明らかに手で書かれたとしか思えない文字があります。つまり、彼らは自分の手で文字を書くことができたのですよ。代理は、文字を読むことはできても、それをその手で書けますか」
「いや、それは」
「恐らく、我々とは、書くということに対してもつ概念も違っていたのでしょう。さらに」
「さらに…とは」
「これは、もし発表なさるのなら、十分に検討してからにされた方がよろしいかと思うのですが…」
「何だね」
「彼らは、自分たちで政治を行なっていたのです。つまり、その時代には、大臣代理ではなくて、大臣が人間だったのです。彼らは、自分で考えて、文字を書き、自分で判断していたのです。今、一部のマスコミが心配している、『ポリティシャンたちに問題が生じた時に人類は、そのいわばロボットに代わって政治を行えるのか』という問題を、彼らはすでに解決していた。彼らは自分たちで議員や大臣を選び、自分たちで決断して、行動していた。そういうことです」
「そんなことが…人間が政治などと」

「まだあります。彼らは、小説や詩歌、映画や絵画、音楽に至るまで、自分たちで作成していたと記されています。今、クリエイターに素材や要素を入力して作らせているものを、彼らは自分たちの手で作っていたということです。まったく、だから、ある意味、彼らにはロボットなど必要なかったのかもしれません」
「それが楽しいのか。自分の作ったものを自分で読んだり、見たり、聞いたりして」
「それは考え方でしょうね。スポーツも彼らは自分たちでプレーをして自分たちで観戦していたようです。今の野球に近い競技もすでに行われていたと」
「そんな。あれは、ブレーヤーと呼ばれる高度なロボットたちが計算された意外性を見せてくれるから面白いのではないのか」
「ですから、同じようなことが、同じような計算が、当時の人類にはできた、そういうことでしょうね」
「その」
と大臣代理は、少し前のめりになっていた上半身をまた椅子の背にあずけた。
「その生物的には優秀だと思われる、もちろん書かれていることが事実だとしてだが、その優秀な人類がなぜ、あれほどまでに衰退してしまったのかな」
「それは、かなり難しい問題です。まだ、その衰退が事実だったのかどうか、それすらはっきりしていません。もし、事実だとしたら、どの程度まで衰退したのか。中には、一旦絶滅したのだという学者もいます。ただ、それではなぜ彼らのDNAの一部が我々に引き継がれているのかの説明ができないのですが」

「我々が彼らの子孫だとするならば、いったい、我々はこの長い年月を、前に進んできたのか、それとも自らの手で作り出した退化という名のゆるいゆるい坂道を下り続けてきたのか」
「大臣代理、いかがなされますか」
「少なくとも、国民にはまだ知らせない方がいい」
「ただ、大臣がどのような判断を下すかですね」
「君、この『紙』は少し預からせてくれるね。手書きの文字など初めてだから」
「もちろんです」
彼は、大臣代理の後ろの窓に映る、暮れ行く空を少しの間見つめた。
数千年前の人類も見たであろう夕暮れ。
軽いめまいと同時に何かを感じそうになり、それは人間のすることではないと目を逸らした。
そして、一礼するとその部屋を後にした。

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