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『ふたつのルール』

空港は目的のコミュニティからは少し離れたところにあった。
山あいの谷間に隠れるように、いやおそらく意図的にそうされたのであろうが、機体が着陸態勢に入るまでは、まったく視界に入らないように作られていた。
巧みな計算のあとがうかがわれる。
私たちがタラップを降りると、大統領が先頭に立って出迎えてくれた。
こちらは、私と、あとはスタッフが2人だが、出迎えはその倍以上の人数だった。
予想以上の歓迎に、私たちは戸惑った。
人数ではない。
私たちが戸惑ったのは、彼らの、その笑顔だった。
あんな笑顔を見たのはいつ以来だったろうか。
人間だけが笑う生き物だとすれば、この地球で生きて行くのに笑顔は必ずしも必要ではない。
そんなことを説いて人々を慰めようとする学者もいた。
私たちは用意された小さなバスに乗り込んだ。
「直接ご案内するよりも先に、私たちのコミュニティ全体が見渡せる場所に行ってみましょう。その方が、よくお分かりいただけるかも知れません」
運転席の後ろの席から、大統領が振り向いて言った。

最初は北アフリカあたりの小さな国の内戦だった。
あの辺りでは別に珍しいことではない。
おそらく世界中の誰も、気にも留めなかっただろう。
これまでのパンデミックが、ほんの数人の感染報告から始まったように、その小さないざこざも、やがて国境を超えて広がっていった。
明確に国と国との争いであれば、何とかなったかもしれない。
しかし、それは、国民と国民、いや、人と人の争いが、波紋のように広がり、大陸をわたり、海を越えていった。
各国の首脳が緊急に集まったが、その時には、もはやどの国とどの国が争っているのかが、誰にもわからなかった。
しかし、国として見過ごすわけにはいかない。
これが、ウィルスや細菌ならば、何とか医学の力で抑えつけることも可能だっただろう。
事実、我々はこれまでそうしてきたのだから。
しかし、こればかりは、誰にもどうにもできなかった。
しばらくすると、各国は自国を守るためだけに武器を使い始めた。
攻撃目標は、自国以外全てだ。
しかし、その守ろうとする国の中でも、国民同士が争っているのだから、歯止めなど聞くはずもない。
もはや、国境など何の意味もなさなくなった。
当時は、これすらも何らかのウィルスの影響だと主張する医学者もいたが、そうではないだろう。
まるで、人類の脳の奥底に眠っていた、古い古い、爬虫類さえも忘れた本能が目を覚ましたかのようだった。
世界が終わるまでの時間は驚くほど短かった。

やがて、生き残った人たちが集まり始めた。
そして、再び小さなコミュニティが出来始めた。
ただ、もう同じような過ちは犯したくない。
私たちは近寄りながらも、警戒を怠らなかった。
そんな時に、少し離れたところで、すでに新しいコミュティが出来上がっているという噂が飛び込んできた。
そこでは、人々は、誰も笑顔で、争うことなく暮らしている。
もちろん、私たちも、かつてはそのように暮らしていたはずなのだが、そんな暮らしの始め方が、もはや誰にもわからなかった。
早速連絡をとり、私たちが視察団ということで送り込まれたのだ。

バスは、低い山をいくつか超えた。
そして、谷間を川沿いに走り続けたかと思うと、また山道に入って行く。
不意に、バスは道を逸れて、山の木々に覆われた、ほとんど道とも言えないところを走り始めた。
木々が少し少なくなったところで、速度が少しずつ遅くなり、やがてバスは止まった。
「ここから、少し歩きます」
大統領に続いて、私たちもバスを降りた。
二、三百メートルも歩いただろうか。
突然視界が開けた。
そこは狭い広場のようで、その先はおそらく崖だろう。
「ご覧ください」
私たちは恐る恐る歩をすすめた。
見下ろすと、その視線の先には、目的のコミュニティが広がっていた。
人々の動きや表情まで見える。
誰もが、自分の意思できびきびと動いているのがわかる。
しかも笑顔を絶やしていない。
田んぼや畑で働く人もいる。
また、酪農家だろうか、牛の世話をしている人の姿も見える。
それだけではなく、大きな建物もいくつかある。
何かの工場だろう。
そして、何よりも印象的なのは、そこかしこで、幼い子供たちが走りまわっている。

私は大統領を振り返った。
彼も、得意そうに笑顔を浮かべてこちらを見た。
私が問いかける前に、彼が口を開く。
「私たちは、たったふたつのルールで暮らしています。それは、必ず嘘をつくこと。そして、それを決して疑わないこと。これだけです」

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