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「儲かりまっせ」ではなく「おもろいでっせ」と

メタバースという言葉はかなり前から聞いていた。
facebookが社名をメタに変更してからは、さらに頻繁に目にするようになってきた。
ニュースのトレンドを紹介するコーナーでも取り上げられたりする。
また関連する書籍もかなりの数にのぼる。

一応僕のようなガチの文系高齢者のために言っておくと、メタバースとマルチバースは似て非なるものだ。
メタバースとは、今まさに構築されつつある、ネット上での世界のことだ。
拡張現実というよりも、ネットの中でもう一つの世界を作ってしまおうという試みだ。
だから、そこでは、食う寝る以外のことができるようになる。
仕事も、いわゆる労働集約型産業や、エッセンシャルワーカーなど以外の仕事は、その世界で完結してしまえるようになる。
遊びも、買い物も、散歩や旅行もできるかもしれない。
通勤の面倒は無くなるが、通勤時間の読書が楽しみだたったという人には、それも可能になるだろう。
やがて、その中で、テレビを見たり、そこでしか観られない映画が公開されたりするようになるかもしれない。
素人の解釈だが、そんなに大きく外れていないと思う。

一方、最近マーベルの映画などでよく聞くマルチバースというものは、これはあるとすれば、すでにある。
というよりも、宇宙の誕生とともにある。
ないとすれば、ない。永遠にない。
こちらは、テクノロジーではなく、あなた次第の世界とも言える。

さて、そのメタバースについて。
今語られているのは、ほとんどが、これをビジネスにどう取り込んでいくのか。
メタバースでいかに儲けるか。
「メタバースは儲かりまっせ」
「メタバースで儲けるんやったら今のうちでっせ」
そして、中身は、ゲームとマネーのことばかりだ。
でも、僕たち素人が知りたいのはそこではない。
それで、僕たちの生活、人生、生き方がどうなるのか。
どんな楽しみなことがあるのか。
それは、幸福になれるものなのか、なれるとしたら、世界中の誰もがそうなれるのか。
そこを語ってくれる人がいない。

知りたいのは、水道の蛇口をひねると水が出ますよ、だから、もう水を汲みにいかなくてもよくなりますよということだ。
そこに至るまでの仕組みを知りたいわけでもない。
それをビジネスにどう活かすかを知りたいわけでもない。

もちろん、仕組みを知ることは大切だ。
それによって、そこに関わる多くの人への感謝も生まれてくる。
もちろん、そこから新しいビジネスを展開することも必要だろう。
でも、みんながそれをビジネスにするわけではない。
それはそれで、別にやって欲しい。

今の動向を見ていると、私の後に続けば儲かりますよ、と何だか、怪しいビジネスの話を聞いているような気になる。

かつて、ジョブズがiPhoneのプレゼンで、人間にはもともと優れたデバイスが備わっている、それはこの指だと言った時、僕たちはあらためて人間の可能性に目を見張ったものだ。
彼が、MacBook Airを封筒から取り出したとき、僕たちは、MacBook Airとともに暮らす未来を思い浮かべたものだ。
それだけで、その時の生活の細部に至るまで生き生きと想像することができた。

新しい技術を、「儲かりまっせ」ではなく、「おもろいでっせ」と、そのワクワクを伝えてくれる、そんな人がもっともっと出てこないものだろうか。

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