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避難所生活に思うこと

南海トラフや東海地震だと言っている間に、能登でまた大きな震災があった。
震災だけではない。
毎年、様々な自然災害にこの国は見舞われ、多くの方が、避難を余儀なくされている。
タイトルを見ると、僕が避難生活を送っているみたいだがそうではない。
避難している方々を、テレビの報道で見ていて思うことがある。

まず思うのは、
「こんな時代に、どうして体育館に雑魚寝させられているのだろうか」
避難生活とは言え、今どきそんなことが許されていいのだろうか。

もちろん個人それぞれが意識を持ち、日頃から防災グッズ、非常用の食料品や水を用意しておくことは大切だ。

しかし、自宅に住めなくなった人たちの避難所を用意するのは、政府や自治体の役目のはずだ。
それは、単に「非常時にはここに集まってくださいね」で、終わりではない。

迅速に的確な避難指示を出してもらうことは、何よりも大切だ。
何事も、命あっての物種だから。

でも、政府や自治体の対策はその先にどれだけすすんでいるのだろうか。

緊急避難なんだから、プライバシーとか言ってる場合じゃない。
お互いに助け合えばいいんだ。
とりあえず雨風がしのげるだけでもいいじゃないか。
つべこべ言うな。

そんな声が聞こえてくるのは、僕がひねくれているからだろうか。

そのとりあえずの生活が二、三日で確実に終わるのなら我慢もできるだろう。
しかし、現実には、1カ月、あるいはそれ以上にもわたっている。
そんな長期間を、なんのプライバシーもなく過ごさくてはならないのは、もはや二次被害に等しい。
もっと言うなら、これは人災だ。

トイレの少なさ、衛生状態の悪さにしても、毎回問題になっているにもかかわらず、いまだに何も改善されていない。

食事にしてもそうだ。
おにぎりやパンが配られているのを目にするが、いったいいつの時代の話なんだ。
もっとまともな物を食べられないものだろうか。
非常食などと言っていないで、暖かいものを食べられるようにするべきだ。
日本全土が壊滅状態ならいざ知らず、今起こっているのは一地域の災害だ。
少し離れたところでは、みんな普通に食事をしているのに、どうしてそこだけカンパンだとか、冷たいレトルトだとかを食べなければならないのか。
しばらくすると、ボランティアの炊き出しが始まったりするが、それをいつまでボランティア任せにしているつもりなのか。

また、救助にあたる人員においても変わらないことがある。
よく被害に遭った職員が、自らを犠牲にして救助活動にあたる姿が報道される。
もちろん美談として。
しかし、こんなものは美談でもなんでもない。
ある意味、ハラスメントでしかない。
職員であれなんであれ、被害に遭った人は被災者としての生活を優先するべきだし、そうさせるべきだ。
そんな人の手を借りなければできない災害対策など、そもそも対策ではない。
その地域の災害対策なら、その地域で働く職員も一定程度は被災者となる前提で対策を立てるべきだ。
被災者が、救助活動にあたることを美談とするマスコミに踊らされるべきではない。

災害対策は多岐に渡り、僕なんかが思いもつかないこともたくさんあるのだろう。
そうしたところで、多くの人が頑張っているのは想像できる。
しかし、僕が記憶しているだけでも、阪神淡路以来、多くの地震が発生して、多くの方が避難生活を送ってきた。
いったい何を学んでいるのだろうか。
もう、いい加減、何とかして欲しい。

繰り返すが、個人の災害対策を否定するつもりはない。
しかし、それを啓蒙するあまり、その個人に頼り過ぎていないだろうか。

経済大国の名を失った日本でも、災害大国の名を失うことはないだろう。
しかし、大国にしては、その対策はあまりにもお粗末だと思うのだ。
これこそ、精神論に頼るべきではない。

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