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『最後のクリスマスケーキ』 # シロクマ文芸部

ありがとうございました。
客の後ろ姿に頭を下げる。
一瞬、車の音と甲高い話し声が舞い込むが、自動ドアが閉まると、元の静寂が訪れる。
いや、静寂ではない。
もう何週間も前から流れているクリスマスのプレイリスト。
クリスマスソングって、こんなに少なかったっけと思うほど、同じ歌が何度も繰り返される。
今の男性は、あのケーキをどうするんだろう。
結構歳をとってたし、夫婦2人では多いんじゃないかな。
お孫さんが待っているのか。
でも、こんな時間にお孫さん?
もしかして、どこかのお店のお土産にして、そこのお姉さんたちと食べるのかな。

ショーケースの中には、あとひとつ。
多分もう売れないだろう。
店長が時計を気にしている。
さっきは、奥さんと電話で話していた。
子供さんの具合が悪いらしい。
風邪でもひいたようだ。
可哀想に、こんな日に。
毎年、この日だけは、深夜まで営業することにしている。
去年は、5つくらいが売れ残ったので、今年は優秀だ。
店長には、あとはやっておきますからと声をかけているが、なかなか帰りそうにない。
多分、奥さんと子供さんは、そう言えば男の子か女の子かは聞かなかったけれども、私に任せればいいのにと思っているだろう。
いや、もしかすると、私が店長を引き止めていると。
それは、ない。
ケーキの上のサンタがこちらを見つめている。
店長は、君こそ早く帰りなさいと言ってくれたんだけどね。
実は、売れ残りのケーキを期待している。
いつもいただけるのだ、店長のサービスで。
サンタも、早く私の家に来たがっているはずだ。
うんうんと短い首をふっている。
最後のクリスマスは、このサンタと過ごしたい。

あと10分ほどしたら、店を閉めようか。
店長が店の奥から声をかける。
そうだ、店長の家ではクリスマスケーキをどうするのだろう。
いや、きっとそれは、自宅で用意しているに違いない。
店長自作の、ここよりももっと可愛く豪華なケーキを。
もう、切っているだろうか。
それとも、パパが帰ってくるまっているのだろうか。
子供だけど、今日だけは特別に。
なのに、風邪なんて。

道路の向かい側でタクシーが止まった。
後部座席の乗客が、こちらを指差して何か話している。
タクシーのハザードランプが点滅して、乗客が降りてくる。
男性だ。
車の流れが途切れると、そのままこちら側に渡ってきた。
それほど広い道路でもないのに、走っている。
あっと声が出そうになった。
歩道との段差に躓いて、男性は右の腰から膝を勢いよく歩道に叩きつけた。
男性はすぐに起き上がって、自動ドアの前に立った。

ありがとうございましたと言いかけてやめた。
お客さん、血。
男性のスラックスの膝が破れて血が滲んでいる。
男性は、自分の膝を見て、あっと言った。
そして、こちらを見ると、
「ありがとうございます」
と笑いながら、でもねと言いわけするように、ケーキの箱をかかげた。
最後のケーキを箱に入れる時に、サンタは軽くウインクをした。
また、来年。
うん、少し残念だけどね、ありがとう。
男性は、待っていたタクシーに乗り込んだ。
店長は、シャッターを半分まで下ろしている。
店長の子供はよくなる。
そんな気がした。
そして、あの男性は無事に帰り着いて、膝の傷を名誉の負傷のように讃え合うのだろう。
その家族で、ずっと語り継がれるクリスマスになるのだ。
今日は、最後の夜じゃない。
そう思った。

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