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『この道の先に』

しばらく会えないかもしれない。
あいつは言った。
どこへ行くともいわなかった。
しばらく会えないかもしれない。俺だって忙しいんだよ、こう見えて。
ただ、それだけ告げると、あばよと背を向けた。
格好つけてんじゃねえよ。
僕の言葉を振り払うように、片手をひらひらさせながら、去っていく。

これまで、迷った時にはあいつがいつもアドバイスをくれた。

高校最後の試合だった。
9階の裏、同点、ツーアウトで満塁。
マウンドで僕は完全に固まっていた。
誰か僕を操縦してくれないかな。
そう思ってたとき、後ろからあいつが叫んだ。
おまえ、ヒーローになりたいとか思ってるんじゃないよな。馬鹿野郎。さっさと終わらせろ。ここはカーブだよ。
僕はキャッチーのサインに首を振り、カーブを投げた。
ピッチャーゴロ。完全に打ち取った。
結局、僕が一塁に暴投して負けてしまった。

あれは、俺のせいじゃないぞ。

あいつは言った。

就職で町を出るかどうか悩んだ時も、あいつに相談した。

川原の道をふたりで歩いた。
何度もいったり来たりした。
2人とも黙ったままで、ただうつむいて歩いていた。
日が暮れてきた頃、あいつは顔を上げた。
結局は、この道をどこまで歩いて行くかってことだろ。子供のとき、遠くまで行きたかったこの道を、今はどこまで行けるかなって。
僕は町を出た。

それからも、ことあるごとに僕はあいつに相談した。
あいつはいつも答えてくれた。
それが正解だったかどうかは、わからない。
でも、あいつのおかげで、僕はその時の一歩を踏み出すことができた。

もうだめだと思ったことがあった。
何も上手くいかず、仕事もきつかった。
人間関係もよくなかった。
毎日息苦しくて、水中でもがいてもがいて、我慢できなくなったら息継ぎをする、そんな毎日だった。
ある日、もう息継ぎもしたくない、そう思った。

ビルの屋上で夜景をしばらく見ていた。
見納めだ。
立ちあがろうとした時、背後から声がした。
おまえ、まさか死のうとか思ってる? いいけどさ、それよっかさ、つきあえよ。そのビルの1階に旨い焼き鳥屋があるんだよ。待ってるからさ。

そのあいつが、突然僕に別れを告げた。
それは、僕が結婚を決めた時だった。
これからは、彼女と2人で生きろということなのか。
しばらく会えないかもと言っていたが、それは多分もう会わないということだ。

僕とあいつが出会ったのは小学3年の時。
転校してきた僕に最初に声をかけてくれたのがあいつだった。
それから僕たちは、毎日のように放課後を一緒に過ごした。
少し太っていたあいつのあだ名は、ジャイアンだった。
決してガキ大将ではなかったが、その体つきからみんなは一目置いていた。

中学に入ると、僕は野球部に入り、あいつと話すことも少なくなった。
クラスも別だったので、廊下ですれ違うと、声をかけ合うくらいだった。
いつの頃からか、声をかけても、無視することが多くなった。
うつむいたまま、顔を上げようともしない。
当時、いわゆる自我の目覚めというものか、突然性格の変わる奴は時々いた。
あいつもそうなんだ。
そう思っていた。
見守るしかないかと。

だから僕は知らなかった。
あいつがいじめられていたなんて。
あいつが死ぬまでは。

親友だと思っていた自分が恥ずかしかった。
見守るなどと言っていた自分が情けなかった。
僕は学校を休んだ。

1週間ほどした朝、声が聞こえた。
窓の外からだ。
そっと覗いてみると、あいつが立っていた。
早くしないと遅刻するぞ。
目が合うと、あいつは頭をかいた。
死んでも太っているのが恥ずかしいかのように。

今、立ち去るあいつの後ろ姿を見ながら思った。
結局、あいつには一度も謝らなかった。
でも、もういいよな。
ああ、もういいよ。

僕は、隣を歩く彼女に肩を寄せた。
僕にしか見えない後ろ姿が、消えていく。
暮れなずむ川原の道。
「子供の頃は、いつもここで考えてたよ。この道をずっと歩き続けると、どこに行くんだろうって」
これからは、2人だけなんだよと言いたかった。
「親父ももう帰っているだろうから、行こうか。紹介するよ」
遠くで、あいつが横顔を見せたような気がした。

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