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『少年の夢』

少年はよく夢を見る。
この夢というのは、夜に眠りの中で見る夢と、果てしなく広がる将来に成し遂げたい何か、そのふたつの意味を含んでいる。
だから、「日夜、少年は夢を見た」と書いたとしても、それは、たとえ話ではなく、正しく現実を描写していると言える。

それにしては、と思われるかもしれない。
それにしては、成し遂げられた夢のなんと少ないことかと。
おっしゃる通りだ。
かつての少年は、何とも生気のない目の大人になってしまっている。
将来などと語ることさえなくなり、眠りの中でさえ、早く目覚めることを願うだけだ。
夢は、どこに消えたのか。

一方、あの老人たちをご覧なさい。
短い眠りの中で、いかに充実した夢を見ていることか。
もはや将来などありはしないのに、かつての大海原も今は小さな支流となり、その水も間も無く枯れてしまおうとしているにもかかわらず、あの輝いた瞳。
もう自分で夢など見られなくなっているはずなのに。

そう。
老人は毎晩毎日、少年の夢を食い散らかしている。
そうして生きながらえている。
いやいや、非難することも、卑下することもならない。
あなたが老人ならば、生きていくためには仕方のないこと、これが天の定め。
あなたが少年ならば、いずれあなたもこうなる。
あなたがくたびれた中年ならば、もう少し我慢すれば、また美味しい夢が食べられる。

でも、気をつけなければならない。
その国では、夢は無限だと誰もが思っていた。
やがて、天然の夢など、どこを探しても見当たらなくなってしまった。
少なくとも、庶民の手には入らなくなった。
少年は、養殖の夢を与えられて、老人は味のない夢をしゃぶりながら、埠頭に並んで遠くを見ていたそうだ。
本当はさして遠くもないどこかを。

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