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あなた差別されてますよ


先日、
「こんな記事あるけど、どう思う?」
と妻が送ってきた。

背の順が差別?
と思って、読んでみた感想をまとめたい。

まず、初めに、この記事で取り上げられているように、少しでも嫌な思いをする人がいるのならば、その声に耳を傾けるべきであるということには賛成であるし、それを変更もしくは中止できるのならば、そうするべきだとも思う。
嫌だと思う生徒がいる以上、学校では背の順に並ぶのはやめればいい。
その上でのこと。

まず、身長などというのは客観的なものだ。
もちろん、何センチとまでは分からなくても、どちらの背が高いか低いかは、誰が見ても変わることはない。
他には、運動会の徒競走の順位。
あれも、誰が見ても変わることはない。
徒競走で順位をつけるのが差別だというのなら、オリンピックは差別の世界大会になる。

身長の高い低いも、運動会の順位も、それ自体が差別だとは思わない。
あなたは身長がこれだけあるから、給食のおかずは多めに食べていいよ。
君は身長がこれだけだから、ダメだよ。
君は運動会で1着だったから、今度の算数のテスト、10点プラスしておくね。
君は、6着だったから、10点マイナスね。
それが、差別だ。
身長や順位が差別ではなくて、それを元に何かを変えることが差別だと思う。
そうでなければ、人と人が並べば大体において身長は違うわけで、その度にどちらかが差別されていることになる。
差別をなくすならば、同じ身長の人としか並んではいけないことになる。

名簿の順なら問題ないだろうと言われるが、そうでもない。
僕は子供の頃、自分の姓が大嫌いだった。
理由なんかない。
その姓でいじめられた記憶もない。
それでも嫌いだった。
子供の好き嫌いに理由などあるものか。
しかも、僕の姓は、だいたい最前列か、少なくとも3番以内にはなる。
小学生の頃は、身長でも前の方だったが、背の順を嫌だと思ったことはない。
しかし、名簿の順は並ぶ度に嫌だった。
少数意見に耳を傾けるなら、こちらの少数意見も聞いてもらいたい。

生年月日にすればどうか。
僕自身は自分の誕生日は気に入っているが、案外、1月1日生まれの人は、嫌なものかもしれない。

では、どうすればいいのか。
ひとりでも嫌な人がいるならば、それはやめた方がいい。
その通り。
解決方法は、並ばないことだ。

そもそも、軍隊でもないのに並ぶ必要はあるのか。
縦横一列に並び、前に倣え、気をつけ、休めを一糸乱れず行える。
これが、日本人の長所、美徳に何らかの貢献をしていると言われるかもしれない。
しかし、美徳とは時代とともに淘汰されるものだ。
現代人が、江戸時代の美德をすべて受け継いでいるわけではない。
今では誰も切腹なんかしないし、そんな人がいても美徳だとは思わない。
それに、そもそも今の日本人に美徳などあるのだろうか。
例えば、もうすぐやってくるハロウィン。
渋谷の交差点で毎年繰り広げられる迷惑行為のどこに美徳があるのだろうか。
自宅近くの道路を見てほしい。
よほどセレブの町でもない限り、路肩にはタバコの吸い殻がいくつも捨てられ、植え込みには、缶やペットボトルが捨てられている。
よくスボーツイベントなどで、日本人の席にはゴミがないなどと言われるが、誰も見ていなければこの通りだ。

では、教室ではどうするのか。
昨今の少子化で、僕たちの頃のように、教室の最後尾までびっしり机が並んで椅子を引くのにも苦労するなんてことはないだろう。
じゅうぶん余裕があるはずだ。
みんな並ばずに、好きなところに机をもっていって授業をうければいいのではないか。
全校集会などはどうするのか。
円陣でいいと思うし、そもそも、今どきWEBで十分だろう。
もう並ぶ必要などない。

避難訓練など、どうしても並ばなければならない時には、そのように訓練しておけばいい。
集団登校などは、お好きなようにだ。

やめるといえば、あの運動会。
順位がどうとか、組体操がどうとか言う前に、そもそもが、必要なのだろうか。
あれも、運動が苦手な生徒にとっては、順位があろうがなかろうが、組体操があろうがなかろうが、地獄の1日に違いない。
体育の時間があるのだから、それでじゅうぶんではないか。
どうしてわざわざあんなことをする必要があるのか。
ただでさえ教師の過重労働が問題視されているのに。
冒頭の記事に関して、背の順は変動があり、それが教師の手間だと書かれているものも見たが、運動会の方がよっぽど手間だろう。
家族に見てもらうのなら、体育の授業を参観日に見てもらえばいいのだ。
何だか、参観日が嫌な生徒がいるのなら、参観日は必要かという話になりそうだけど。

嫌な思いをする人が一人でもいるのならば、改善するのか、廃止してしまうのか、みんなで考えるべきだ。
その上で、身長や、走る速さなどが差別なのではないということも言っておきたい。
それは必ずしも努力だけで変わるものではない。
努力すれば、多少は効果もあるかもしれないが、誰もが八村塁や、サニブラウンになれる訳ではない。
そこには差別などはない。
それは、受け入れるしかないものだ。
差別とは、その先にある、それによる忖度や不利益のことのはずだ。
嫌なことは解決するべきことではあるが、それを何でも差別だ、虐待だと名付けてしまう風潮には反対したい。

まあ、僕はもう子供を教育することもないし、整列することもさせることも多分ないだろう。
だから、こんな勝手なことも言える。
結論。
少年野球の監督さん、フォアボール狙いで背の低い選手を代打に起用してはいけませんよ。
身長が高いからという理由だけで、いつもロッカーの上のものを取らされている人には教えてあげよう。
トントン、あなた差別されていますよ。

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