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『幽霊は誰だ』 # シロクマ文芸部

文芸部のさち子さんが好きだ。
おかっぱで、眉がキリッとして、ツンとした鼻、少し薄めの唇。
まつ毛の長い目を細めて、口角を少し上げて微笑む顔は、この世のものとは思えない。
白紙のページを前に、遠くを見つめながら、唇を少し開けて考え込む姿も素敵だ。
そして、左手で髪をかき上げると、おもむろにペンを走らせる。
言っとくが、僕はストーカーじゃない。
さち子さんが好きなだけだ。

そのさち子さんが、僕のことを小説に書き始めた。
文芸部で、「幽霊は誰だ」をタイトルにひとりずつ作品を書く。
8月のお盆が明けたあたりで、一度集まることになっている。
その怪談の主人公が、この僕と言うわけだ。
さち子さんが小説を書くのは、毎日夜になってからだ。
夕食のあと、家族と少し話をしたあとで、自分の部屋に入ってくる。
中学生の弟は、来年受験だというのにゲーム三昧の日々を送っている。
さち子さんは、自分の部屋に入る前には、必ず弟の部屋をのぞいて、勉強しなさいよとひと声かける。
弟は生返事だけで、一向にゲームをやめようとはしない。
悪い弟だ。

さち子さんの小説は、僕の名前から始まる。
「…君が亡くなってから、まもなく2ヶ月になる」
どうやら、小説の中の僕は既に亡くなっているようだ。
さち子さんは顔をあげて、少し後ろを気にするが、また机に向かう。
さち子さんのペンは止まることなく動き続ける。
今日はかなり物語が進みそうだ。
「…君は、みんなから幽霊って呼ばれていた。そう呼ぶのは、最初は、クラスの一部の子だけだったが、いつの間にか、ほぼ全員が呼んでいた。幽霊と」
そうだった。
どうしてさち子さんは、僕のことを幽霊だなんて呼び始めたのだろう。
「最初は、誰が言い出したのか。幽霊は、死なないだろと。…君もだまっていればいいものを、僕は幽霊だ、幽霊は死なない、よって僕は死なない、などとふざけたことを、どうしてほざいてしまったのか」
それから、僕たちは屋上へ行ったのだ。
「みんなは、囃し立てた。飛べ、飛べと。死なないのなら、ここから飛び降りてみろと。私は…君が、てっきり逃げるものだと思っていた」
そう、僕は逃げようとしたんだ。
その場から駆け出した。
すると、階段に続く扉の前に、さち子さんが立っていた。
あの美しい微笑みを浮かべて。
「私が、階段への扉を開けて‥君を逃がそうとした時、…君は誰かに捕まって引き戻された。彼はその時初めて大きな声を出した。助けてと」
僕は言った。
さち子さんに、助けてと。
でも、さち子さんは僕をみんなのほうへ押し戻した。
再び、飛べ飛べの大合唱。
蝉しぐれのようだった。
「…君は、突然、誰かの名前を叫びながら、飛び降りた。降りたと言うよりも、墜落した」
僕は、さち子さんの名前を叫びながら飛び降りた。
正直、飛べそうな気がした。
「あれから2ヶ月。今でも、…君が亡くなったことが信じられない」
でも、僕はいつから幽霊だったのだろうか。
死んで幽霊になったのか、幽霊だったから死ななかったのか。
飛び降りる前から、もしかしたら、本当に幽霊だったのかも知れない。
こうして実際に幽霊になってみると、その辺りの境目があやふやだ。
「‥君が今でもすぐ近くにいるような気がしている。私のすぐ後ろで、このノートを見つめているような」

僕はさち子さんのノートを閉じると、棺の中に入れて手を合わせた。
棺が静かに閉じられる。
背後で、文芸部の仲間のすすり泣く声。
棺はこの後、火葬場に送られる。
火葬場には親族のみで向かわれるので、僕たちはここまでだ。
最後にもう一度、みんなで手を合わせた。
…君、もう行きましょ。
さち子さんの声がした。


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