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『二色の日記』

赤青鉛筆で日記を書く。
妻が左ページに赤い色で。
夫が右ページに青い色で。
まるで交換日記のようだと、その日記をみつけた時には思った。
こんなものを、いい歳をしてよく続けられたもんだと。

ある夫婦の自宅を、遺族の依頼を受けて整理をしていた時のことだ。
先に夫が亡くなり、その後妻が亡くなった。
2人とも老衰だと言うから、天寿を全うされたのだろう。
離れた都会に暮らす長男からは、必要なものは持ち出しているので、全て処分するように言われている。

古い姫鏡台の引き出しを開けると、中から何冊ものノートが出てきた。
古いものは、色褪せてページも押し花のようにからからに乾いている。
赤と青の鉛筆で書かれた日記。
最初の日付は、前の戦争の始まる直前。
結婚式の妻の感想から始まっている。
夫は親戚の無礼を青い鉛筆で詫びている。
若い2人の、時にはこちらが恥ずかしくなるようなことも綴られている。
こうして読まれることなど想定していなかったのだろう。
貧しいながらも幸せそうな日々。

ある日夫が招集される。
それからは、左ページの赤い文字が夫の無事を祈り、帰りを待ち侘びる。
そして、戦争が終わり、夫は無事に戻ってくる。
また、2色の日記が再開される。

私はノートを閉じて、処分の作業を続けようとした。
しかし、もう一度、ノートを開いた。
やはりそうだった。
戦後、夫が帰ってからのノート。
そのノートは左の赤い文字も、右の青い文字も、同じ筆跡だった。
私は、依頼主の長男に電話をして確認せずにはいられなかった。
そして、このノートは長男に保管してもらうことにした。
「大部にはなりますが、必ずお送りいたします」
「是非に」と長男も言ってくれた。

夫は無事に戻ってきたのではなかった。
戦争で視力を失って帰ってきた。
彼は二度と妻の姿をみることはなかった。
右側のページは、妻が青い文字で口述筆記していたのだった。

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