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『長い戦争』

僕の国では、戦争をしているらしい。
らしいというのは、こういうことだ。
その戦争は、僕の生まれるずっと前から続いているんだ。
お祖父ちゃんの生まれた時には、もう始まっていた。
それ以前まで遡ることは今では難しい。
いつから始まったのか、記録にも残っていない。
多分、始まった時には、すぐに終わるだろうと思っていたのかな。
それとも、僕の日記みたいに、記録係は明日書こうと思っていて、そのまま忘れてしまったのかもしれない。
とにかくあまりに長いものだから、みんながもう戦争をしていることすら忘れてしまっているんだ。

戦争はこの国のずっと端っこの方で起こっている。
ところが、この国というのが、恐ろしく大きいんだ。
だから、大砲の音が聞こえることもないし、戦闘機や戦車の姿を見ることもない。
それは、あまりに端っこすぎて、みんながそんなところに国境があったのかと驚くような場所らしいんだ。
遠すぎて、親が子供に、近づいちゃいけないよとうるさい口で注意するのも忘れてしまうような場所らしいんだ。
もちろん、授業でも習わない。
きっと、教科書に載せるのも忘れられちゃったんだな。

だから、クラスで戦争の話をしても、信じるものと信じないものに別れてしまうんだ。
「聞いたことがあるよ。ずっとずっと歩いていくと、戦争をしているところに迷い込んでしまうって。2度と戻って来られないらしいよ」
「そんなの迷信よ。誰も見たことないんだから。今は科学の時代だし、何だって映像で見られる時代なのよ」
先生に聞いてみても、はっきり言わない。
「先生はね、遠いところで戦争をしているかどうかよりも、君たちが平和に暮らせていることが嬉しいんだよ」
先生がごまかしているのはみんな知っているけれど、誰も言わない。
通知表に書かれると困るからだ。
「この子は人の話を素直に聞けないところがあります。家庭においても指導をするようにしてください」

ある日、すごい音とともに、爆撃機が上空を通過した。
旅客機以外に通過したことのない空なのに。
その時、校長先生の話を聞くために校庭にいた僕たちは思わず、耳を塞いでうずくまってしまった。
そっと見上げると、その爆撃機から小さなものがヒラヒラと舞い落ちてくる。
それは、そのまま僕の足元に落ちた。
周囲を見ると誰も気づいていないみたいだ。
僕は、それをこっそりズボンのポケットに入れた。
その後、校長先生は、その爆撃機にはひと言も触れなかった。
まるで、こんなところで爆撃機を見たなら、それは幻に決まってるじゃないですかと言いたいみたいだった。

家に帰ると、自分の部屋に駆け込んだ。
ポケットから昼間のものを取り出してみる。
それは、指輪だった。
小さな赤い石が輝いている。
そして、リングには、メモがくくりつれられていた。
「これをあの娘に渡してくれ」
下手な走り書きだったけれど、何とかそう読めたんだ。
だだ、子供の僕にも、わかったよ。
これを書いた人は、多分、あの爆撃機の操縦士だろうけれども、大きなミスを2つ犯している。
まず、自分が誰なのか。
僕たちも、いつもテストの時に先生に言われるんだ。
まずは自分の名前を書きなさいってね。
そして、もうひとつは、「あの娘」って誰なのか。
世界の人口の約半分は、「あの娘」の可能性があるからね。
もっとも、僕のお母さんと、お婆ちゃんは省いてもいいかな。
僕は、その指輪を赤いオルゴールの箱の中に隠した。
それは、お母さんが持っていたオルゴールなんだ。
もう壊れていて、どんなメロディを奏でていたのかはわからないんだけどね。
こんなことで、役に立つなんて。


何とかヘリをつけられる場所を見つけた。
操縦士を待機させて降りる。
歩き出してすぐに気がついた。
この任務で得るものは何もないだろうと。
「ひどいな」
思わず呟いてしまった。
「そうですね、曹長」
積み重なる瓦礫の中を、かつては道路だったであろうスペースを辿りながら歩いていく。
部下の二等兵も遅れて付いてくる。
時おり、物音に2人とも立ち止まる。
しかし、それは雑草がそよぐ風に身をしならせる音だった。
今は雑草でも、かつては誰かに育てられていたものかもしれない。
早めに避難指示が出されていたのか、逃げ遅れた人の残骸は見当たりそうにない。

ひととおり、見てまわった。
問題はなさそうだ。
「曹長、あれを」
言われて、指さす方を見た。
積み重なったブロック塀のかけらの間から手首がのぞいている。
「行ってみよう」
足元に注意しながら進んだ。

かつては誰の部屋だったのだろうか。
手首にそってコンクリートの破片や、焦げた木材を取り除いていく。
その下に体があるはずだと、大きな石を動かした時に、腕はスポンと抜けてしまった。
手首から先が所在無げに揺れている。
結局、胴体はどこかに吹き飛んでいたのだ。
あるいは、この腕が吹き飛ばされてきたのか。
部下と顔を見合わせる。
お互いに何も言わない。
その腕は間違いなく女性のものだ。
細い指に指輪がはまっている。
赤い石のついた指輪。
体の他の部分を探したが見つからなかった。

赤い箱が目に入る。
オルゴールのようだが、蓋を開けても何も鳴らない。
「君、結婚は?」
「故郷にフィアンセがいます」
「そうか、これを」
片手にぶら下げていた腕から指輪を抜いて、差し出した。
二等兵は両手で受け取った。
「ありがとうございます」
「戦争が終わってからなどと思っていると、いつまでも一緒になれないぞ」
「そうですね」
「今度、休暇を取るといい」
「ありがとうございます」
二等兵は、胸のポケットに指輪をねじ込んだ。
「戦争は終わらない。というか、終わらせるべき戦争があるなどと、誰も思っていないのだから」
話しながら、ヘリに向かう。
「報告書には、何も書かなくていい。腕のことも」
腕を放り投げた。
「指輪のことも」
「了解です」

ヘリの中で、オルゴールのことを考えていた。
頭の中で、赤い蓋を開けてみる。
頭の中のオルゴールは壊れていない。
懐かしいメロディが流れてくる。
頭の中のメロディを部下に感づかれていないか。
横目で確認するが、大丈夫のようだ。
あの赤い箱を残してきたことを悔やんだ。
まあいい。
どうせ、壊れていたのだから。
途中で海は見えるだろうか。
「君…」
部下は目を閉じている。
きっと休暇のことを考えているのだろう。
休暇をとるいい。
好きなだけ。


まだ大丈夫だろう。
高度を下げたままで。
目的地はまだまだ先だ。

それにしても驚いたよなあ。
俺たちが戦争していたなんて。
そんなつもりで入隊した訳ではなかったんだ。
でも、送り込まれた先が戦地だなんて。
しかも、敵はどこなのか、誰に聞いても教えてもらえない。
言われるままに進行して、言われるままに退却する。

何年、何十年、いや、この戦争そのものはもっとだ。
もう、始めた奴が誰かわからないから、誰が終わらせるのかもわからないんだ。

あそこに、この爆弾を落としてこい。
今度もそうだ。
あそこって、聞いたこともない都市だ。
いや国なのか。
国境なんてものを考え出した奴は、今頃どうしてやがるんだろう。
そいつは、多分、爆弾を積んで空を飛んだことなんかないんだろうな。
まんまと騙されたのが、俺たちってことか。

この下の町は平和そうだ。
思い出すなあ。
あの娘はどうしてるだろう。
いやいや、もうあの娘って歳じゃないよな。
俺が歳をとりゃ、あっちだって歳をとる。
結婚して子供がいるかもしれない。
その子供だって、もう大きくなってるだろうな。
捨てちゃったかな。
赤いオルゴール。
あの町も、こんなに平和だったらな。

そうだ、この指輪。
たまたま通りかかったベッドにいた奴から渡されたんだ。
うっかり受け取って、後でよく見てみると、メモには何も書いていない。
ただ、「あの娘に渡してくれ」としか。
でも、確かめようとベッドに戻った時には、もうくたばってやがった。

もういいだろう。
せっかくだから、この平和そうな町に落としてやる。
ほら、赤い石の指輪が、舞い落ちていくぞ。
あれは小学生の列かな。

これが爆弾だったらなあ。
こんな爆弾だったらなあ。

さあ、高度を上げて。
少し急ごう。


彼女は、その箱を開けてみた。
もう何日も前から、音は鳴らなくなっていた。
それでも、毎日、その赤い蓋を開けては口ずさんだ。

今日も、音は同じように鳴らない。
しかし、今日は口ずさまなかった。
多分、もう口ずさむことはない。
隣の部屋から泣き声が響く。
この鳴らない箱は、娘のおもちゃになるだろう。
明日か、明後日か、もっと先か。

大きな音に、窓ガラスが揺れる。

あれは…
彼女は窓の外を見つめた。
赤い花びらのようなものが舞い落ちた。

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