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葛飾応為に会う


原宿表参道の太田記念美術館で開催されていた「葛飾応為『吉原格子先之図』ー肉筆画の魅力」展に行ってきた。
訪れたのは、その最終日前日の11月25日。
ちょうど娘夫婦に会いに東京に行ったが、昼間は妻と娘はいつも通り2人で行動。
婿殿は健康診断とか。
これ幸いと向かいはしたが、原宿は阪神タイガースのパレード並みの混雑。
そう言えば、その前の日は、麻布台ヒルズがオープンし、あべのハルカスを抜いて日本一高いビルになった日。
やっぱり東京にはかないまへん。
表参道の人混みをかき分けかき分け、なんとかたどり着いた。

太田記念美術館

館内は混雑しているかと思いきや、チケットに並ぶこともなく、ほどよい混み具合。
入館したのが、昼前だったのも良かったのかもしれない。
滞在時間は約1時間半。
もちろん、お目当ては、葛飾応為の「吉原格子先之図」だ。

僕は、あまり美術の教養はなく、ましてや浮世絵などにはほとんど興味がなかった。
いや、興味がないことはないが、それはジャポニズムという枠内においてのみだった。
だから、
「葛飾北斎って、生涯に何度も名前を変えたり、引越し魔だったりしたらしいね」
そんな程度だ。
その葛飾北斎に娘がいたなどと、知る由もない。
葛飾応為の名前など聞いたこともなかったし、「吉原格子先之図」など見たこともなかった。

それが何故、わざわざ東京の小さな美術館にまで足を運ぶようになったのか。
それこそ、このnoteのおかげだ。
いちいちお名前をあげるのは控えさせていただくが、少し前に、僕のフォローさせていただいている方や、その方と繋がりのある方が、この葛飾応為、そして「吉原格子先之図」のことを話題にされていたのだ。
そこで初めて、葛飾応為のことを知り、「吉原格子先之図」も目にした。

それまでの僕が知っている江戸時代の絵というと、いわゆる浮世絵で、それはどんなに上手く、細かく精密に描かれていようと、西洋画とは違う、いわば、奥行きのない平板な絵だった。
しかし、この葛飾応為の絵はどうだ。
それまでの日本画では見たことのない、陰影、立体感、遠近感。

その絵が実際に見られるとあり、しかもちょうど娘夫婦に会いに行く日が最終日の前日。
これは行くしかない。

実物は思っていたよりも小さく、A3用紙よりも一回り大きいくらいだろうか。
でも、あの名画が、ガラス一枚隔てた向こうにある、この感激は何ものにも代え難い。
帰りには、「吉原格子先之図」のポストカードを購入して帰った。
嬉しすぎて、娘夫婦と妻にもプレゼント。
渡した時の3人の複雑な表情。

それにしても、あの時代、応為は何故このような絵を描くことができたのだろう。
人間の視線は、その時の文化に縛られるものだ。
あの時代には、あの浮世絵が、人々の視線そのものだった筈。
何故、彼女は突然あのような視線を手にすることができたのだろう。
どこかで、西洋画を目にすることがあったのだろうか。
それに、よく見れば、その構図も西洋的だ。
いわゆる、黄金分割、あるいは三分割。
彼女がそれを知っていたとは思えない。
恐らく天性のものだろう。

歴史の中には、遺伝学における突然変異のような人物が時々現れる。
もしかすると、葛飾応為もそのひとりなのかもしれない。

今年もあと1ヶ月。
いい体験をさせてもらいました。

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