どうしていつまでも「鬱病」なのか

仕事柄か、これまでに多くの鬱病の方に接してきた。
しばらく仕事は休むことになるので、診断書を提出してもらう。
郵送してもらうか、場合によっては自宅まで受け取りに行く。

しかし、本人から鬱病の診断書をあずかり、上司に報告をしても、なかなか理解してもらえない。
つまり、それが病気であるとわかってもらえないのだ。

ひどい時には、
「なんだ、また怠け病か」
そのひと言で片付けられる。

どうしてだろうか。

鬱病の鬱は、憂鬱の鬱であり、鬱陶しいの鬱である。
だから、憂鬱、鬱陶しい、そんな気分の先にあるのが鬱病だろうと思われてしまう。
何となく憂鬱なことは誰にでもある。
それが少しひどくなったのが鬱病なのだろうと。

だからこうなる。

気分を切り替えればすぐによくなるよ。
いいことを考えればよくなるよ。
いつまでも鬱病って言ってるのは、甘えてるんじゃないのか。
私だって嫌なことがいっぱいあって毎日憂鬱になるよ、でもこうして頑張っているんだ。
いいねえ、そんな理由で休めるなんて。

しかし、それが全く間違った考えであるのは一目瞭然だ。
それは、胃がんや大腸がんの人に、
「お腹が痛いのは僕もよくあるよ、あったかいもの、消化の良いものを食べて休めば大丈夫さ」
こう言っているのと同じことだ。

憂鬱と鬱病の違いは、そこに症状があるかどうかだと思う。
憂鬱なのが症状ではない。
その結果、起きることができない、話すことができない、行動することができない、そんな症状があるのが鬱病であり、だから治さなければならない病気なのだ。
僕は専門家ではないので、詳しいことはわからないが、そんなに間違ってはいないと思う。

僕が学生時代に患った対人恐怖症もそうだった。
人の目が気になる。
そんなことは誰にでもあるだろう。
ただ、僕の場合には、その結果、人前で話ができない、食事ができない、文字が書けない、無理にやろうとすると手足や体が震えだす、そんな症状があった。
だから僕が治したのは、そんな症状であり、人の目が気になることではない。

しかし、この鬱病はれっきとした病気であることが、なかなか理解してもらえない。

そして、長年、そのことが問題となっている。
鬱病に対する理解を訴える掲示物も目にしたことがある。
そんなテレビ番組も見たことがある。
それでも、理解してもらえない。

それは、やはりこの鬱病というネーミングに問題があるのではないだろうか。
この、読めるが書けない文字を見ると、まず連想するのは「憂鬱」「鬱陶しい」というのが普通だろう。
そうすると、どうしても、
「ああ、そんな病なんだね。いわば、恋の病と同じようなもんだ」
そう誤解されるのも無理はない。

昨今、多くの精神疾患の呼び方が変わってきている。
そろそろ、鬱病も、その病名を変えていくべきではないだろうか。

先日記事を書かせていただいたこの本。
横山小寿々さんの「奇跡を、生きている」

この中でも、「慢性疲労症候群」という病名が、単純な慢性疲労と混同されやすいために、「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」に改められたと書かれている。

理解してくださいと訴えるのも大切だが、理解してもらいやすい名前、誤解を生まない名前に変更していくことも必要だと思う。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,835件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?