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『揃いすぎたパズル』

彼は確認を終えると、本部に連絡を入れる。
「配置は整いました。あとは、ホシの現れるのを待つばかりです」
それから、もう一度この部屋を見渡してみる。
地下室のために窓はなく、ドアは一箇所。
ドアの左右に1人ずつ。
8畳ほどの部屋の四隅に1人ずつ。
このドアの外にも左右に1人ずつ。
それぞれ制服の警官が立っている。
そして、部屋の中央には60センチほどの台の上に黒い金庫がある。
その中では、小さなダイヤが光を放っているはずだ。

この屋敷の家族は昨日から念のために都内のホテルに避難させている。
時計を見るとまだ少し時間がある。
彼は、部屋を出て階段を上がった。
一階の玄関の前で警官が敬礼をする。
それに応えて、広い庭に出た。
既に暗くなっている。
池の横にある大きな木の影で、携帯を取り出した。
妻からのメッセージ。
「気をつけてね」
3日前の妻との会話。
「今日から何日かは帰れないかもしれないからな」
「もしかして…」
「うん、あの強盗がまた予告してきたんだ。今日から泊まり込みで対策を立てるよ」
「捕まるといいわね」
「ああ。そうだ、君はあの子を連れて、母のところにでも行ってきたらどうだ」
妻には身寄りがない。
来年小学校に入る娘は、彼の母に懐いている。
母も、もちろん孫が可愛い。

待つ時間は長い。
それは、この仕事をしている者なら誰でも経験することだ。
張り込みをしている時などは、時間という巻き尺が伸びてしまっているのではと思うほどに、時間が進まない。
警官たちを見ていると、緊張を維持するのも少し限界にきているようだ。
「そうだ」
彼は、部下を連れて家のキッチンに行った。
午後にこの家の娘が、時間のある時にと冷凍の肉まんを差し入れてくれていた。
タクシーで1人でやってきたらしいが、自分の娘と同じくらいの年齢なのにしっかりしていると感心したものだ。
部下と2人でレンジで解凍していき、全員に配らせた。

彼は敷地の外に出ると、建物全体を見渡せる位置に立った。
犯人はどこから侵入してくるのか。
最初は単なる連続強盗だった。
それが、日時を予告するようになる。
しかし、それだけでは範囲が広すぎた。
あてもなく走り回る警察をよそに犯行は行われた。
そして、日時と地域を予告してきた。
それでも、防ぎきれなかった。
そんな警察を嘲笑うかのように、今回は場所まで特定してきたのだ。
この家の金庫に眠るダイヤをいただくと。
金庫はすぐに、地下室に移された。

海外なら、ヘリコプターや小型飛行機で空から銃撃してくることも考えられる。
しかし、そんな大胆な犯行がこの日本で可能だとは思えないし、仮に可能であったとしても、この狭い国で逃げ切れるものではないだろう。
地下を掘り進んでくることもありうる。
銀行の金庫に地下から穴を開けてまんまと盗み出すという大掛かりな犯行もあった。
もちろん、それには対策済みだ。
わずかな振動の異常も探知できるように専門班を配置している。
昔読んだ小説のように警官になりすますことなど不可能に近いが、念のためにメンバーはぎりぎりまで指名しなかった。
そう言えば、その家の主人に変装していたなどというのもあった。
しかし、今回はホテルに家族と一緒に缶詰だ。
あとは何が考えられるのか。
犯人がこの俺だとしたら。
彼は、語り手が犯人という推理小説を思い出して苦笑いした。
そうだ。
何年も前の大きな事件を思い出した。
毒ガスや神経ガス。
警官に防毒マスクを配るべきだったか。
そこまで思い至らなかったことを悔やんだ。
手配している時間はもうない。
それが必要になる可能性も同じように少ないだろうが。

まもなく犯人の予告した時間だ。
もしこのまま何もなければ、いつまでこの警戒を続けるべきか。
「連続強盗犯、予告時刻に現れず。警察の警戒、功を奏す」
そんな新聞の見出しが浮かんだ。
それにしても静かな夜だ。
静かすぎる。
彼は、体の内に不安が込み上げてくるのを感じた。
走った。
門を入り、こんな時には広すぎる庭をこえる。
玄関にいるべき警官の姿がない。
いや、倒れている。
安否を確認する間もなく、土足のまま上がり、地下室への階段に差し掛かる。
階段の下り口にいる警官もその場で倒れている。
見下ろすと、地下室の入り口でも、2人の警官が折り重なっている。
滑るように下りて、ドアを開ける。
部屋の中でも警官が倒れているが1人だけ、金庫を抱えて立っている。
一瞬見合った。
「警部補、これを安全な場所に移動させます」
「わかった」
部屋を出て階段を上がろうとする警官。
「待て」
しかし、止まるそぶりはない。
彼は、駆け寄ってその制帽を掴んだ。
中から長い髪の毛がふわりと舞い落ちた。
さらにつかみかかろうとする彼を、長い髪の警官は半身の状態で蹴落とした。

彼が応援を要請しながら、建物を出た時には犯人はまだ庭を走っていた。
咄嗟にホルダーから銃を抜いて構える。
「止まれ、止まれないと撃つぞ」
たが、右腕に金庫を抱えた犯人は止まる気配はない。
引き金を引いた。
弾は犯人の左腕を掠めた。
彼は追いかける。
犯人が門を出たところに一台の乗用車が走ってきた。
その車を止めると、強引に助手席に乗り込んだ。
金庫を後部座席に放り投げ、銃を取り出して運転手に突きつける。
彼が門まで来た時には、その車は走り出したところだった。
彼は本部に連絡した。
乗用車のナンバーと車種、色。
運転席では老婆が銃を突きつけられていると。

明け方近くになって、乗り捨てられた車は発見された。
盗難者だ。
車内からは、指紋はおろか髪の毛一本見つからなかった。
「不思議なのは、警部補、ハンドルからも指紋が取れないんですよ」
倒れていた警官は、意識も戻り少しずつ回復しているらしい。
「警部補は肉まん、食べなかったのですね」
「ああ、ダイエット中だからね」
彼は、自分の少し丸くなった腹を撫でて、無理に笑った。
「それよりも、差し入れた女の子は本当にこの家の子だったのか」
「わかりません。パパからだと言われて信用したみたいです」
「馬鹿な」
新聞に載るのは今日の夕刊だろう。
「警察、肉まんでまんまと出し抜かれる」
そんな見出しを思い浮かべた。

朝食の支度をする妻の左腕に包帯が巻かれている。
実家で娘と母と3人で遊んでいる時に、転んだらしい。
「大丈夫よ、たいしたことないから」
娘が起きてくる。
「ママ、おばあちゃんにもらった肉まんが食べたいな」
「朝はだめよ。幼稚園から帰ってからね」
「パパも食べるでしょ、肉まん」
肉まん、少女、左腕に包帯を巻く髪の長い女、そして老婆。
こんな取り合わせは、今朝、全国の家庭に何軒もあるだろう。
しかし、そこに刑事となると、かなり絞られるはずだ。
これらのピースを組み合わせていけばどうなる。
彼は考えていた。
いや、それではあまりにも揃いすぎではないか。
娘が見つめている。
黙っている彼に代わって妻が答えた。
「だめなの、パパはダイエット中だからね」

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