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『優しい妻』

皆さんの奥さんはどうだろうか。
どうだろうかといきなり問われても困るだろう。
私が言いたいのは、皆さんの奥さんは皆さんのやることに口やかましくはないだろうか。
こうして皆さんに問いかける以上、私の妻は、私のやることなすこと全てに口を挟んでくる。
結婚する前から、こうだったならば、もしかしたら結婚までには至らなかったかもしれない。
付き合っている頃には、こんなことはなかったのだ。
何をするにも、どこに行くにも、私の意見を最優先してくれた。
聞かれれば自分の考えを話しはするが、決してそれを押し通すことはなかった。
わざとらしく拗ねてみることはあったが、それは若い2人のじゃれあいみたいなものだ。
そんなじゃれあいが続くことを期待して、私たちは結婚した。
いや、彼女がどう思っていたのかはわからない。
少なくとも、私はそうだった。
そんなものは、お前が人生を甘く見ているからだ、なんと浅はかな考えだ、女経験が足りなかったんじゃないのか、そう言われても仕方がない。
私も、こんなことなら、一度同棲でもしておくんだったと、何度後悔しただろうか。

朝のパジャマの脱ぎ方。
鏡に歯磨きが飛んでいる。
トイレットペーパーを使いすぎ。
脱衣所での、着替えの置き方、タオルの畳み方。
とにかく、事細かく注意をするようになった。
食事に関しては、健康に気を使ってくれていると思えないこともなかったが、やはり限度がある。
バターの塗りすぎ。
塩分の取りすぎ。
醤油が多い。
お昼は何食べた。
どうして、そんなに揚げ物ばかり。
ラーメンのスープは飲んじゃだめ。
飲み会が多すぎる。
さらには、テレビの見すぎ、本や雑誌の買いすぎ、そんな、休日の過ごし方、小遣いの使い道にまで口出しをするようになってきた。

そんな妻が、ある日を境に、急に優しくなったのだ。
それを優しさと言うのかどうかはともかく、私の行動にほとんど口出しをしなくなった。
何かを言うとしても、これは本当に私のことを考えてくれてのことだと納得できるような内容、言い方に変わった。
豹変したと言っていいかもしれない。
あの日、妻は古い友人に会うとのことで、朝から出かけて行った。
日曜日だった。
帰ってきたのは深夜になった。
話が盛り上がって、少し飲みすぎたらしい。
ふらつく妻の服を脱がせて、ベッドに運んだ。
脱がせた服は丁寧にハンガーにかけた。
その翌日からだ。
妻が変わったのは。

毎朝、私を笑顔で迎えてくれる。
朝食も、いつものトーストと牛乳に、果物が添えられるようになった。
帰ると、玄関まで出て来て、鞄と上着を受け取る。
夕食も私の好きなものを並べながらも、栄養のバランスは考えられていた。
飲み会で酔って帰ってくると、お茶漬けを用意してくれる。
休日は、ソファーで腰や肩をマッサージしてくれる。
友人と会うと言っていたあの日、何があったのか。
考えを変えるような話が出たのだろうか。
何となく落ち着かない気もしたが、また結婚前のような2人に戻れるかもしれないと期待もした。

そんな毎日に変わって1ヶ月ほどしたある日、職場に刑事がやってきた。
事情を聞いた私は、上司に説明をしてから、刑事とともに警察署に赴いた。
いくつか廊下を曲がった先の部屋で、私は確認された。
「奥さんですね」
血の気がなくなり、少し骨が剥き出しになった顔を見下ろしながら、私はうなづいた。
死後1ヶ月以上が経過しているらしい。
その時、私のスマートホンにメッセージが入った。
妻からだ。
「今日の夕食は外食にしない? 」
明日が土曜日なのを思い出した。
その頃、休み前には時々外食をしていたのだ。
私も、そしてあの日曜日に妻が会ったという友人も、何度か事情聴取を受けたが、結局は妻の死に事件性はないとのことになった。

妻はあの後も、しばらく私の家にいたが、いつの間にか、信じてもらえないかも知れないが、いつの間にかいなくなった。
大切なものが気がつくと無くなっているが、それがいつからなのかは思い出せないように。

皆さんの奥さんは、急に優しくなったりはしていないだろうか。


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