見出し画像

『その日の午後』

朝から頭が上がらない。
熱を測ってみるが平熱だ。
会社への連絡はもう少し後にする。
最悪の場合は遅刻させてもらおう。
もう一度、布団に潜り込む。

2度寝をしても変わらない。
もうすぐ始業時間だ。
布団にくるまったままメールを打つ。
休みます。
しばらくして返信。
わかった。
理由も聞かれない会社。
誰も座っていない自分のデスクを思い浮かべる。
視覚と聴覚だけの自分が、デスクの斜め下あたりから、オフィスを眺めている。
はっきり聞き取れない会話。
そこに自分の名前が混じることはない。
ロキソニンを飲んでまた眠りにつく。

昼過ぎに目覚める。
まだ、すっきりしない。
右目の奥の方に、かけらが残っている。
カラカラと音がしそうだ。
先週の休日と同じ服に着替える。
やましいほどの青空。
頭を低くして歩く。
地下壕のような喫茶店に身を隠す。
コーヒーとパンケーキを指さす。

スマートフォンのサイト。
他国の悲劇が手のひらに届く。
わずか数インチの画面の悲鳴。
消音のままスクロールする。
何かが、わかったような気がした。
窓の外を高校生が通り過ぎていく。
自分に似た子を探す。
自分のいない喫茶店を思い浮かべる。
コーヒーカップとパンケーキの皿を斜め下から見上げている。
また、何かが、わかったような気がした。

夕暮れ前に、クリーニング店でワイシャツを受け取る。
部屋に戻り、カーテンを閉めた時に、もう一度考えた。
わかったように気がしたことを。
生きているのは、殺されないからだ。
殺されないのは、ここにいるからだ。
それだけのことだ。

念のためにメールを送る。
明日は行けそうです。
返信はない。
そのまま、誰とも話さない日が終わる。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,460件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?