読書記録#92 菜根譚
中国の古典。
他にも日本語訳の本が数種類存在する。
どれにしたらいいか分からなかったが、Amazonレビューで1番評価の高い上記のものにした。
学生・社会人(マネジメントに悩む上司・どう立ち振る舞うべきか困っている部下)・その他あらゆる、どの人にも通ずるような、1人の立派な人間として存在するにはどうあるべきかが説かれている。
本書は明の洪応明の撰だが、中国ではあまり有名ではく、日本でよく読まれるという不思議な著書。
さすがは古典。いかなる立場の人間のどんな課題も解決できそうなヒントが網羅されている印象。
●読む目的
これからの人生の道をどう進むべきか、その参考としての一冊。
一般的に人生の正規の“レール”と言われている道から外れまくっている本稿筆者。そんな社会のレールから外れて挫折した人間が、その後どのように人生を歩んだら良いのかを知る。その心構えの仕方が中国の古典「菜根譚」に書かれていると、とあるYouTube動画のコメント欄から偶々発見した。
読み継がれてきた古典なので、良書なのは間違いないだろう。
正直なところ、当方、どうしようもない馬鹿なので、半分以上何を言わんとしているのか理解できなかった。
「何となく、こう解釈できるのではないか」レベルで読み取れた範囲で読書メモしていく。
●読書メモ
まず、当note筆者のエッセンス「レールから外れた人間はどう生きれば良いか、どう在るべきか」に該当すると思われる箇所を抜粋。
真実の英雄
小さなことであるからといってなおざりにすることなく、人が見ていないからといってごまかしたり隠したりすることなく、失意のどん底に落ちてしまったからといって怠けたりやけになったりしない。こうしたことができてこそ、ようやく一人のほんとうのすぐれた人物であるといえる。
世間と出世間
迷いの世界を抜け出す方法は、とりもなおさずこの俗世間を渡る生活そのものの中にあるのであって、必ずしも世の人々と縁を絶って山中に隠棲する必要はない。また、悟りを開くための工夫は、とりもなおさず自己の本来の心を見極めることの中にあるのであって、必ずしも人間的欲望を絶って心を暖かみのない死灰のようにする必要はない。
.....。
その他読書メモ
静中に動を秘めて
活動的な生き方を好む人は、まるで雲間に光るいなずまや風前にゆらぐともしびのように、あまりにも動きすぎ、これに対して静寂を愛する人は、あたかも火が消えて冷たくなった灰や立ち枯れになった木のように、極端に静かすぎる。
人は、動かないで止まっている雲や、流れないで留まっている水のような静かな境地の中にありながら、しかも鳶が飛びあがり、魚が踊り跳ねるような潑剌とした性もいっしょにそなわっていてこそ、ようやく、ほんとうに道を修得する人の心の姿であるといえる。
指導、マネジメントについて
人を叱責し導く秘訣
人の悪を責めるときには、あまりに厳しすぎるようにはしないで、その人が果たして叱責の言葉を受け入れることができるかどうかの程度を考慮しておく必要がある。
また人に教えて善い行いをさせる時にも、目標を高く置きすぎないで、そのことが実行できる範囲にとどめさせるべきである。
高位にあっても流されず、隠遁(いんとん)としても偏せず
高位高官の地位にある時には、一方において、冨貴に引きずられて人物が鄙俗(ひぞく)にならないように、山林に引き籠っている隠者のおもむきがなくてはならない。
これに対して、隠遁して自然の中でのんびりと生活していても、一方において、現実の社会から遊離してしまわないように、天下国家を治めていく為政者としての見識もつねに持っているようでなければならない。
→自分とは異なる人間、分野、業界等からの情報収集も怠らない。そして理解しようと試みること。
学んで後に自ら実行する
古人の書物を読んでいながら、聖賢の精神に触れなかったならば、それは単なる文字の奴隷であるにすぎない。官位についていても、俸給ばかり貰って、人民を愛撫しなければ、それは役人の衣冠を着けた禄盗人である。
また、学問を講じても、理屈ばかりで自ら行うことを大切にしなければ、それは口先だけで禅をもてあそんでいるに過ぎない。事業を起こしても、自分の利益を追求するだけで、徳を世に布(し)き行うことを考えなければ、目の前に咲いているだけのはかない花にすぎない。
心を許してはならない人物
静かすぎてものも言わず、その心がわからないような人は、とりあえず自分の本心を語ってはいけない。怒りっぽくて自分だけは正しいと思い込んで、人の言うことを聞かないような人には、決して口を聞いてはいけない。
冷酷で薄情な人
人から恩恵を受けた時は、どんなに深くても報いようとしないのに、恨みに対しては、どんなに浅くても必ず仕返しをする。また、人の悪事を聞いた時は、それがはっきりしたことでなくても疑わないのに、善い行いは、それがはっきりしているのに疑って信じようとしない。
このようなやりくちは、他人の心の冷酷さの極みであり、薄情の甚だしいものである。だからよくよくそのことを戒めるようにしなさい。
→確かに。
中途半端な才人の不幸
道に達した人は、今日中にあれこれ思いわずらうことは何もない。また、愚かな人ははじめから知識などにとらわれていない。なんのこだわりもないこのような人達とは、いっしょに学問を論ずることもでき、またいっしょに協力して事業を興すこともできる。
中途半端な知識を身につけている人だけは、一通りの思慮や知識を具えているので、それで、素直にものを信ぜず、あれこれと思いめぐらし、疑い深い心も多くて、このような人達とはどんなことでも、いっしょに仕事をすることは難しい。
→中途半端な知識を身につけている人=読書ばかりして頭でっかちな人=ワイやないかーいw自戒の意を込めてメモメモ...
達人の境界、俗士の末路
音楽や歌声がさかんに鳴りひびき、酒宴とまさにたけなわになったところ、そこでさっと立ち上がって後ろもみずに行ってしまう。このように達人が手放しで絶壁の上を歩くような様子は、ほんとうにうらやましい。それに対し、夜もふけて水時計の水もなくなってしまったというのに、まだふらふらと夜歩きをやめようとはしない。このように俗人が自ら我が身を欲望の泥沼に沈める様子は、ほんとうにこっけいである。
→いやw ワイやないかーいww
当方、大体この手の本の悪い人の特徴に綺麗にすっぽりと当てはまる。そりゃ社会の最底辺なるわ。
これも自戒の意を込めてメモメモ。
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