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『人生後半戦を愉しむ』を掘り下げる

今日は私の重要テーマである『人生後半戦を愉しむ』から掘り下げたいと思います。平凡で、ふわっとした印象しか残らない言葉だと思いますので、自分の考えを補足していきたいと思います。

人生後半戦

『人生後半戦』を意識するきっかけになったのは、「人生100年時代」というここ数年のキーワードになっている言葉です。2016年に翻訳版が発売された、リンダ・グラットン、アンドリュー・スコットの共著『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略』が話題になって以降、「人生100年時代」という言葉と価値観もすっかり日本にも定着した感があります。

私もこの本を読んで衝撃を受け、『そんなに長く働きたくないよ』と絶望的な気持ちになりました。当時の私にとって働くとは、「雇われて会社で働く」ことしか思い浮かばなかったので、このまま会社員生活を続けていく気力が急速に萎みました。

そして、生活を維持する為に笑顔やワクワク感を封印して働き、我慢しながら年を取るのはカッコ悪い生き方ではないのか、と疑うようになりました。目標もなく長生きするため、食べていく生活費を稼ぐために働き続ける必要があるのか? 自分の欲望を殺して、責任や義務でがんじがらめが当たり前の環境で働くより、自分が本当にやり甲斐を感じて、人間関係を選べて、心底夢中で楽しめる仕事をしながら年を取っていきたい、いやそうする以外に生きている意味なんかない、と思いました。その思いは日に日に強くなっていて、完全に私の中の一丁目一番地を占める信念になっていきました。

『後半戦』は、スポーツの世界からの借用です。人は誰でも人生という一度しかない真剣勝負の試合を続けている、後戻り出来ない道を進み続けている、という認識です。人生100年時代を真実と捉えるならば、50歳はやっと半分、前半戦を終えて、折り返して後半戦をスタートしたばかりです。

72年の人生を最大限燃焼する

私は、自分の人生は72年で十分と達観し、プランを進めています。

50歳を超えた今、人生後半戦に突入したことをはっきりと自覚し、最高の試合に仕上げていきたいと思うので、年齢を重ねることにもっと敏感になろう、目の前の仕事を理由にやりたいことを後回しにせずに、大切に感じていることを真摯に向き合っていこう、と決意しています。

幸いにして、世の中の社会制度は、まだ人生70〜80年を前提とした設計になっていて、私が30年近く会社員を続けたことは完全には無駄にならない可能性が高いと踏んでいます。社会制度変革は政治問題化するので、そう簡単には変化させられないと予測しています。

意識が低く、ずば抜けた取り柄のなかった当時の私には、学校を卒業して会社員として生活していくという選択は最適解だったと思います。これまでに積み重ねてきた年月、手掛けた仕事にはそれなりに思い入れがあります。

簡単に諦めて放り出していたら、世界を舞台に仕事をするチャンスも訪れなかったでしょう。特に20代は給料を貰いながら、社会の原理原則を勉強させて貰っていたようなもので、良い経験が出来たと思っています。会社員の肩書を利用して働いた経験は、人生後半戦を強かに生き抜いていく為の武器になると思っています。

愉しむ

いつからか、『頑張る』という言葉を使うことに違和感を感じるようになりました。頑なに張るのが愉快なことなのか?という疑問です。肩に力が入りやすい方だし、頑張った経験はそれなりに豊富だと思っていますが、それならば『踏ん張る』という言葉を使いたいと思っています。

『踏ん張る』というマッチョ感のある言葉よりも、私の感覚にフィットするもっといい言葉、相応しい言葉がないかな、と思ってみつけたのが、『愉しむ』です。"楽しい"ではなくて、"愉しい"を使うのが拘りです。

肩肘張らず、笑顔で穏やかに、でも真面目に愉しんでいくことをイメージしています。タモリが言ったとされる『真面目にやれ! 仕事じゃないんだぞ!』に通じる感覚です。

『愉しむ』のはなかなかに難しい境地で、日々修業中です。ネタは尽きないのでまた別の機会に『人生後半戦を愉しむ』を掘ってみたいと思います。

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