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資本主義の精神の考察【前編】

本日のnoteでは、自分の学びの整理を行います。テーマは『資本主義の精神』です。

資本主義を掘り下げる

この10年位は、資本主義を当然のように受け容れて過ごしてきました。私がティーンエイジャーだった頃は、資本主義体制に対峙するように社会主義・共産主義体制が健在だったし、資本主義体制国でも左派よりの傾向が存在しました。1990年代になってソ連の崩壊、中国の資本主義化によって資本主義が世界を動かすスタンダードになりました。

私自身、これまで資本主義の正体について深く学ぶことはありませんでした。今の主流である新自由主義の潮流に乗り、恩恵を受けている人もいれば、疎外されているように感じて心身を擦り減らしている人もいます。各々の立場の違いによって、意見や価値観が異なるのは致し方ありません。

最近の私個人の嗜好は、新自由主義から転換し、『脱成長』へと傾倒しています。今回は、テンミニッツTVで、東京大学東洋文化研究所の中島隆博教授が講義された『グローバル化時代の資本主義の精神』(全六回 2014)の読書ノートから、資本主義の精神が形成されたメカニズムを学び、自分の思考を深めてみたいと思います。【前編】

目次

(1)資本主義の機制
(2)世俗倫理と資本主義の精神
(3)ヴェーバーの予言とコジェーヴの「世界の日本化」

(4)日本の近代資本主義~渋沢栄一から福澤諭吉まで
(5)グローバル市民社会への貢献の鍵~弱い規範としての「禮」
(6)質疑応答

(1)資本主義の機制

マックス・ヴェーバーは、キリスト教、とりわけ、プロテスタンティズムは禁欲を主張し、金儲けに厳しい態度をとるにもかかわらず、プロテスタンティズムが資本主義を支えている、というパラドックスを提示しました。

欲求と欲望の違いを考えた時、人間の欲求は有限なのに対し、欲望は無際限になり得る可能性があります。ヘーゲルは、

人間は、他人に承認されたいという欲望を持っている。だから、他人が欲するものを欲することによって、自己承認を高めていく。ここに人間の秘密がある

と指摘しました。他人の欲望を取り込んでいく構造が人間の欲望の正体ならば、欲望は際限なく拡大していく可能性があります。経済に当て嵌めると、投資という形で資本の循環が無限に行われていくことになります。この事例は、資本主義の膨張が止まらない理由の一つとしてよく理解できます。

この欲望の無限の追求を可能にしている背景に、『プロテスタンティズム』と『時間』があります。どういうことでしょう?

『プロテスタンティズム』とは、「神は自分自身の内面での信仰の問題である」という教えです。神は、もともと無限の存在、人間を超越する存在と認識されていました。ところが、その神を自身の内面に取り込んでしまうと、他者(神)の無限の欲望の追求は肯定される、という危険で皮肉な構造が成立してしまいます。

『時間』は無限の象徴です。私たちは、時間は直線的に永続するものだという概念を疑っていません。分断されている、時間がいつか終わるとは考えません。この感覚は、投資が有効に成立する条件です。明日以降も時間がずっと繋がっていくという「未来は現在の延長」という概念が広く共有されていることは、資本主義が膨張していく為の見落とせない条件です。

(2)世俗倫理と資本主義の精神

今まで西洋社会を支配していた宗教的規範に代わり、非常に近代化された宗教を内面に持った個人の道徳(世俗内倫理)が成立していきました。

新たに成立した世俗内倫理に影響を与えているのは、ベンンジャミン・フランクリンに代表されるアメリカ流のプロテスタンティズムです。

「時は金なりということを忘れてはならない。自分の労働で1日に10シリングを稼ぐことができる者が、半日出歩いたり、何もせずに怠けていたら、その気晴らしや怠惰のためには6ペンスしか使わなかったとしても、それで出費がすべてだと考えるべきではない。実際にはさらに5シリング使った、というよりも、捨てたのである」

気晴らしや怠惰をやっては駄目で、働き続けることが大切、という世俗内倫理は強烈です。厳密には違う宗派なるも、カルヴィニズムも、自身の救済の手段に「天職」への献身的な従事を説きます。

「こうした自己確信(私は神に救われるはずだという確信)を獲得するための優れた手段として、天職としての職業労働に休みなく従事することが教え込まれたのである」

プロテスタントのメソジスト派のジョン・ウェスレーは、

宗教は必ずや勤労と節約をもたらすのであり、この二つは必ずや富をもたらさずにはいない。しかし、富が増大すると誇りも高くなり、あらゆる形で情熱と現世への愛も強くなってしまう

勤労と節約に励めば励むほど、獲得する富は増大する。その結果、皮肉にも人々の精神は堕落し、純粋な宗教への関心が薄れることを指摘しています。

ウィスレーは、手に入れた富をできる限り他者に与えていくことを挙げて、堕落を乗り切れるのではないかと考えます。西洋の寄付文化の背景には、寄付しないと自分の救済の問題が危ういという感覚がありそうです

(3)ヴェーバーの予言とコジェーヴの「世界の日本化」

無限に膨張を続けていくメカニズムが埋め込まれている資本主義が世の人々を支配することに危惧を抱くヴェーバーは三つのオプションを出します。
● まったく新しい預言者たちが登場する、
● 昔ながらの思想と理想が力強く復活する、
● 不自然きわまりない尊大さで飾った機械化された化石のようなものになってしまう、

更に、

「最後の場合であれば、この文化の発展における『末人』、『最後の人間(ニーチェの言葉)』にとっては、次の言葉が真理になる。“精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう”」

と述べています。ヴェーバーのイメージする最終到達点はアメリカです。

これに対し、ロシア出身の哲学者、アレクサンドル・コジェーヴ(『ヘーゲル読解入門』の著者)は、

「“ポスト歴史の”日本の文明は、“American way of life”とは正反対の道を進んだ。おそらく、日本にはもはや語(ことば)の“ヨーロッパ的”或いは“歴史的”な意味での宗教も道徳も政治もないのだろう。だが、生のままのスノビズムがそこでは“自然的”或いは“動物的”な所与を否定する規律を創り出していた。」

”スノビズム”と呼んだ日本独自の生活様式に驚き、「西洋人を“日本化する”ことに帰着するだろう」という最終形を予言しています。

私たちは意識しませんが、日本で育まれた資本主義は、西洋キリスト教文化の人々から見るとかなり異質な印象を与えるようです。(【後編】に続く)











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