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或るロックスターの思い出1:マイケル・ハッチェンス

本日の記事では、23年前の今日、自ら命を絶ったアーティスト、マイケル・ハッチェンス(Michael Hutchence 1960/1/22-1997/11/22)という人を辿ってみたいと思います。


マイケル・ハッチェンスとは

マイケル・ハッチェンスは、オーストラリアのシドニー出身で、人気ロックバンド、INXS(インエクセス)のボーカリストとして活躍した人です。

スタイリッシュさとパワフルさを併せ持つボーカリストで、カリスマ性もあって、世界中に熱狂的なファンがいました。音楽活動に加えて俳優業にも進出し、私生活では同郷で世界的な女優/歌手のカイリー・ミノーグ(Kylie Ann Minogue 1968/5/28-) と恋仲だった時もあり、多方面で話題を提供する《スター》でした。

突然の自殺は、衝撃の走った事件でした。繊細で神経質なところがあったのでしょう。1990年代後半、彼の人気は、バンドの全盛期に比べるとやや下降傾向にありました。また、私生活でも色々とトラブルを抱えていたという話もあります。

INXSの思い出

INXSは1977年にオーストラリアのシドニーで結成され、1980年にデビューを飾っています。地元オーストラリアで人気を博した後、1980年代中盤には世界進出を果たし、世界的知名度を誇るバンドへと登り詰めていきました。オーストラリア発では、先輩のAC/DCに次ぐ商業的成功を収めたロックバンドだと言われています。

私がINXSを知ったのは、「オリジナル・シン Original Sin」という作品でした。1984年に、売れっ子プロデューサー、ナイル・ロジャースを起用して制作されています。エッジの効いたギターとダンサブルなリズム、時折割り込むサックスなどのお洒落な部分と、骨太でパワフルなロックサウンドが融合していて、なかなか興味深い楽曲でした。このプロモーションビデオには、日本のデコトラックや東京の風景が登場します。

INXSがワールドワイドな人気を獲得していくのは、1985年発売のアルバム『リッスン・ライク ・シーブス Listen Like Thieves』あたりからです。シングルカットされた『ホワット・ユー・ニード What You Need』は、全米シングルチャートで5位を記録し、彼らの出世作となりました。

続くアルバム『キック Kick』を発売した1987年から1988年にかけてがバンドの絶頂期で、『ニード・ユー・トゥナイト(1位)Need You Tonight』『デビル・インサイド(2位)Devil Inside』『ニュー・センセイション(3位)New Sensation』など、アルバムからシングルカットした曲が、次々と全米シングルチャートで大ヒットを記録します。

一番好きな曲、『スーサイド・ブロンド』

そんなINXSの楽曲で私が一番好きなのは、1990年発売のアルバム『X』からのファーストシングル『スーサイド・ブロンド Suicide Blonde』です。

カントリーウエスタン調のオープニングから、低音を強調した最新のニューウェーブっぽく展開されて盛り上がっていく感じが好きで、当時は家でも車の運転中でもよく聴きました。

INXSの楽曲の特徴は、『〇〇風』を大胆にわかり易くパクって、ハイセンスに仕上げるところにあるように思います。意地悪く言うと、幅広い音楽ジャンルの中からそれぞれの特徴的なエッセンスだけをつまんできて、「売れる」作品に仕立てるのが巧い、とも言えます。『スーサイド・ブロンド』はその真骨頂、スタイルの完成形だったという気がしています。

裏を返せば、自らの音楽性の芯の部分、骨太に守っている信念のようなものが見えづらいバンドでした。アルバム制作に起用されたプロデューサーは当時の売れっ子ばかりですし、『売れるのが正義』という商業至上主義的ニーズに徹底的に利用され、翻弄されたバンドだったのかもしれません。

マイケル・ハッチェンスが抱えた闇

マイケル・ハッチェンスが抱えていた苦悩や心の闇も、このあたりに一因があったのではないか…… ロックスターとしてのイメージに縛られることへの葛藤があったのではないか…… と憶測しています。

これまで成功してきた手法が徐々に飽きられていく怖さ…… 
本当にやりたいことをやれていないもどかしさ……
複雑なプライベートでの孤独感……
繊細な神経の持ち主には、なかなかにキツい状況が折り重なっていたのではないか、と想像します。

マイケル・ハッチェンスが自殺したのは、カイリー・ミノーグと破局後に知り合った英国人のポーラ・イエーツ(Paula Yates 1959/4/24-2000/9/17 ボブ・ゲルドフの元妻)との間に、娘のタイガーリリーを授かった直後の時期でした。普通に考えると、父親になった幸せを噛み締める時期だと思うのですが、逆に新たな苦悩をもたらしてしまったのでしょうか。

妻で母親のポーラも2000年に他界(麻薬中毒という話)しており、残された幼いタイガーリリーは、亡母の別れた夫であるボブ・ゲルドフに引き取られて育てられたようです。

2019年には、ドキュメンタリー映画『MYSTIFY』が公開されています。

マイケル・ハッチェンスは、1997年11月22日、地元シドニーのホテルで死亡した状態で発見されました。死亡時の年齢は37歳。合掌。

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