見出し画像

ビール… 労働の対価として輝く至福

本日のnoteは、私のビールにまつわる思い出と現在の向き合い方を確認しておきたいと思います。

思い出①:スキー旅行

ビールとの本格的な出会いは、高校卒業直後の1987年3月、18歳の時です。大学受験を終えて合否発表を待つ間の3月中旬に、高校のクラスメート達と信州へスキー旅行に行きました。卒業式を2月に済ませたものの、学制上は高校生です。未成年飲酒はアウトの行為ですが、30年以上前のやんわり見逃されていた頃の話です。

信州志賀高原への往復は深夜バスでした。行きのバスの中から缶ビールを飲み始め、宿では明け方まで飲み続け、友人はスキーをする合間にも飲んでいました。スキーをしにきたのか、ビールを飲みにきたのかわからないくらい、この旅の間中ずっと飲み続けていた気がします。

スキー初心者の私は、滑走中にトラブルを起こしてしまい、気持ちが落ち込んでいたのでこの時のスキーには苦い記憶しかありません。しかし、しこたま酒を飲んだ記憶だけは今も鮮明な思い出です。体力の限界を超えて飲み続けているので夜は酩酊状態で、ゲロが止まらず、トイレから出られなくなりました。18歳で早くも二日酔いを経験しました。

思い出②:大学生の新歓コンパ

その思い出を上回る生涯最悪の二日酔いは、大学生になって入部したフィールドホッケー部の新歓コンパです。新入生はビールのみを飲むことが許されていました。ひたすらビールを飲み続けた結果前後不覚の状態になり、先輩のクルマに乗せられて、同期の下宿へと収容されました。

私の人生で後にも先にもあれ以上の酷い二日酔い体験はありません。先輩のクルマで搬送される途中、ハッチバックに横たわりながら、微かに視界に入った信号の点滅する様子と先輩がシフトチェンジする手の動きは、今でも鮮明な映像で覚えています。ダメージは二日酔いどころでは済まず、ビールに対する拒否反応はその後も数カ月間続き、テレビでビールのコマーシャルを目にしただけで吐き気をもよおすような状況でした。

ビールの美味さがわかり始めた頃

そのトラウマもあり、学生時代の飲み会では、最初の乾杯以降はビールを避けて、口当たりのいいサワー類を中心に飲んでいました。それでも、飲み会への参加を重ねて場数を踏むにつれて、ビールへの苦手意識が徐々に薄れていきました。当時は、コク重視のキリンラガーより、キレ重視のアサヒスーパードライを好んでいました。とはいえ、ビールは心の底から美味いと感じる飲み物ではありませんでした。

その評価が一変し、ビールが美味いと心底感じるようになったのは、社会人になってからです。仕事を終えた後の一口目のビールの美味さは格別…… と多くの人が言うのを聞いてきました。学生時代はわからなかったものの、働き始めてからやっと自分自身が肌で感じて理解できるようになりました。

やり終えた仕事がハードであればあるほど、その美味さが増すことにも気付きました。ビールは仕事終わりの一杯が最高という意見です。ビールは労働讃歌の酒だ、という意識です。

今の私とビールの関係

今、私がビールを飲む頻度は極端に減っています。日々の労働をしていない私がいけしゃあしゃあと飲むべきものではないという罪悪感もあります。クラフトビールや世界各国のビールを含めてビール全般は今も好きですが、現在は普段気軽に飲むものではなくなってしまいました。

ビールは、自分の限界を超える挑戦を日々続けたり、理不尽な境遇に歯を食い縛って耐え忍ぶ環境にいる人が、仕事終わりに志を同じくする仲間達と談笑しながら飲むものかもしれません。中途半端な立場に安住している今の私は、美味いビールを飲んで爽快な気分になる正当な資格を有していません。

時々ですが、ビールで乾杯していた日々を懐かしく感じる夜もあります。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。