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忙しそうにしないこと

本日はできるだけ他人目線で突き放した目で私の進む道を考えます。

現状認識

50代に入り、何となく冴えない毎日を送っている私に、これから先の人生で何でもやれる無限の可能性が広がっているとは思えません。気力、体力、見た目の衰えは隠せないし、記憶力の減退や集中力の欠如、好奇心の欠乏もはっきりと自覚するところです。自分の戦闘力の労働市場での評価が下降線を辿っているという自覚はあります。

現在の私は、人生前半の坂を上り切って、人生後半戦の本格的な下りに入ったあたりだろうと考えています。人生前半戦の鍛錬と我慢で蓄積したものを活かして、流れには逆らわず、それでも軸はぶらさずに、凛として枯れていくのも悪くない。自分の身の丈にあった生き方をしていこう。だから、完全に老いて引退後の将来をしっかりと見据えて、今やるべき事を慎重に取捨選択して、自分にとって有益なことに有限な時間・体力・気力を集中的に注いでいこう、と思っていました。つい最近までは……

それでいいのか…

でも、最近は「本当にそれでいいのか? 満足なのか?」という疑問が頭から離れません。

● 限界近くまで無理をする
● 直接的には役立たない無駄なことをする
● 無駄だとわかっていて非効率なことをする

のが、私は好きなのです。

これは、私に備わっている性分だと思うので、仕方がないようです。これまでに蓄積してきた一見無駄な経験を発揮出来る場を探し求めて、このnoteに辿り着いたように思います。noteを書き続けることで心境にも変化が出始めています。「自分の人生、このままでいって満足なのか… そんな訳ないよな…」という自我がもくもくと芽生え始めています。

忙しいアピールをしない

最近、心掛けているのは、滅多矢鱈と"忙しい"アピールをしないことです。昔は意味のない忙しいアピールを周囲にも自分にもしていました。言い古された言葉ですが、"忙"は心を亡くすと綴るので、自分にも周囲にも使わずに済ませた方がいい言葉です。”忙しい”と自分自身に暗示をかけてしまうことで、自分の価値を貶めていることに、もっともっと早く気付くべきでした。

まずは、「忙しい」という思い込みを捨てることから、日々の生活習慣を考え直してみたいと思います。「忙しい」から、「しょうがない」という諦めの気持ちが出続けるのを止めたいと思います。

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