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『大人の流儀6 不運と思うな。』を読む

本日の読書感想文は、伊集院静『大人の流儀6 不運と思うな。』(講談社2016)です。週刊現代に連載していたエッセイ「大人の流儀(a genuine way of life)」シリーズの第6作で、2015年1月3・10日号~2016年6月11号所収分が単行本化されたものです。


奇妙な縁を感じる一冊

氏の訃報に接した際、本書を通読中でした。亡くなられる前日の11月23日、息子と長野県内の電車旅に出掛けた際も鞄に入れて持っていき、移動する車両の中や駅での待ち時間に読んでいました。

今週私は、体調不良に襲われて二日間会社を休み、部屋で静養しましたが、発熱が多少収まってから、この本を読み直しました。奇しくも、東日本大震災で亡くなられた方々、大切な身内(実弟、前妻、犬など)、親交のあった著名人(立川談志、高倉健)や友人(韋駄天のハヤ、S沢記者)など、「死」について書かれた章が数多くあり、自身の死生観を吐露した章もありました。これらエッセイが書かれた時期の、氏の重要な関心事の一つに「死」とどう向き合うか、があったことが伺えます。

また、風邪による体調不良に見舞われた自身の様子を描写した『何日たっただろう 』(P75-79)という話には、奇妙な縁を感じました。

氏の文体に惹かれる理由

私は、伊集院氏の文体が非常に好きです。氏の文章のどこに自分自身が惹かれているのかを知り、自分の文体のどこに問題があるのかに気付くためのヒントが、『あとで気付く』(P95-99)、『誠実なもの』(P123-127)にありました。

どんなに長い小説であっても、そこに基本となるもの、基本の言葉がある。しかもしそれはシンプルな言葉である。
(中略)
二十数年前、先生が言われた基本の言葉も、私がこの頃、そうではないかと思う基本の言葉も、シンプルではあるが、そこには”存在している哀しみ”がある気がする。

P97‐98

「上手、上手いという文章はたいしたものではありません。上手という表現には、どこか傲慢な臭いがあります。」

P123

文章であれ、伝言のメモであれ、その文章を書く目的を外さないで、ゆっくり丁寧に書くことです。

P124

文章の肝心は、「簡潔で読みやすい」、この一点につきると私は思っている。

P125

こうしたハッとする文章を読んで、自分がいかに無駄なことばを継ぎ足してわかりにくい文章を書いているかが自覚できました。自分に”ダメだし”する必要がありました。
✔ ゆっくり… 
✔ 丁寧に… 
✔ シンプルに…
✔ わかりやすく…
文章論の基本として叩き込まねばならないことです。
そのいずれも、今の私には欠けていたと思います。書く内容以前に、書く姿勢に問題があったと、ようやく気付くことができました。


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