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『社会的共通資本』を読む❷

本日は、じっくりと読み進めている宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書2020)の❷ ~第2章 農業と農村~ の読書感想文です。 

第2章 農業と農村

第1部 農の営み

日本の農業が危機的な状況にあると言われて久しいものがあります。宇沢氏は、「農業」を経済体制における一つの自立的な産業と位置付け、工業と同じ枠組みで比較しようとしてしまっていることに問題がある、という示唆を与えてくれます。

農業という概念規定より、むしろ農の営みという考え方にもとづいて議論を進めた方がよいのではないだろうか。

P47

農業が果たしている機能、農の営みという観点の欠如が影響している為に、農業基本法と農政の問題を指摘します。市場的効率性の基準で評価されてしまうと、規模の経済が働きづらい農業は、工業との比較で著しく不利な位置におかれてしまいます。工業部門における投資効率は、農業のそれを遥かに上回っているため、従事する労働者の所得に格差が生まれます。

加えて、新古典派経済の理論が、日本農業の相対的地盤沈下を促進した点も否めません。資源配分の効率化を重視する新古典派経済理論に従えば、国民経済の経済厚生の向上を目指し、競争力のある分野に資源を重点配分することが正解になってしまうからです。

土地の賦与量が相対的に希少である日本経済の場合、農業という、より土地集約的な産業はできるだけ縮小して、工業部門に特化する方が望ましい。

P56

宇沢氏は、農業保護ありきで情緒的にではなく、新古典派的命題から導かれる帰結に経済学的に批判を加えます。それは、
● 一国の経済厚生の水準という概念規定が曖昧であること
● 非現実的な生産要素のマリアビリティ(可塑性)を前提としていること
● 生産要素の私有制だけが前提とされていること
であると分析し、農業=社会的共通資本の視点での修正を求めます。

農業の問題を考察するときにまず必要なことは、農業の営みがおこなわれる場、そこに働き、生きる人々を総体としてとらえなければならない。いわゆる農村という概念的枠組みのなかで考えを進めることが必要になってくるわけである。
一つの国がたんに経済的な観点だけでなく、社会的、文化的な観点からも、安定的な発展を遂げるためには、農村の規模がある程度安定的な水準に維持されることが不可欠である

P60

そして、農村の最適規模は、市場的効率基準で事後的に決められるものではなく、社会的合意で事前的に決められるべき、と強調されています。農業を資本主義体制下の一つの産業として扱い、農業に従事する人々も同列の経済人とみなして、経済的効率性を重視し過ぎた日本の農政に批判的です。もっとも、研究所や試験場が品種改良、新種開発などに果たしてきた役割には好意的です。

第2節 農の再生を求めて

宇沢氏は、農、医、教育は、社会的共通資本を担う職業との考えを示しています。

農の営みというとき、それは経済的、産業的範疇としての農業をはるかに超えて、すぐれて人間的、社会的、文化的、自然的な意味をもつ。

P67

農業部門は、規模の経済の大きさ、資本収奪性、利潤性で工業部門に遥かに及びません。農業部門の生産性は、天候など自然的条件に左右されることが大きく、農産物に対する需要の価格弾力性も低く、予期しえない大きな市場価格の変動に悩まされる宿命があります。このように技術的、自然的、市場的条件で不利な農業と工業を同列に比較し、競争させようとしたことで、農業部門の衰退を招いてしまったのが、今の日本の現状という見立てには、納得感があります。

こうして、農業が若者にとって魅力のない産業となってしまった説得力ある理由を踏まえ、その対策として、持続的可能な農業の理論的考究とその実践的展開を行う為の「三里塚農社」の構想が語られています。コモンズとしての農村という考え方です。

コモンズというときには、特定の場所が確定され、対象となる資源が限定され、さらにそれを利用する人々の集団ないしはコミュニティが確定され、その利用にかんする規制が特定されているような一つの制度を意味する。

P84


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