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訪れたあの街③:ニューヨーク

以前訪れた街に思いを馳せる

普段当たり前に享受していた「移動の自由」に制約が入ると、移動好きの虫が騒ぎ出します。世界の街を巡る生活に憧れ、幾つかの夢は叶いました。

あの街はよかったなあ…… 
あの街には死ぬまでにもう一度行ってみたいなあ…… 
私にはそう思い出す街が沢山あります。そんな郷愁を記録に残します。第3回は、ニューヨーク(New York)です。このnote、えみさんの企画 #おうち旅行  に参加させていただく予定です。

ニューヨークの概要

アメリカ合衆国最大の都市であるニューヨークは、私がくどくど説明する必要などないでしょう。アメリカの栄華と威光は薄れてきている印象なるも、「眠らない街」、ニューヨークは今も世界中の人々を惹きつけ、進化を遂げ続けている街です。

ニューヨーク市はブロンクス、ブルックリン、マンハッタン、クイーンズ、スタテンアイランドという5つの行政区からなります。一般的なニューヨークのイメージは、五番街やタイムズスクエア、摩天楼(エンパイアステートビル、クライスラービルなど)、ウォール街がひしめくマンハッタン島のものでしょう。

マンハッタン島は、西をハドソン川、東をイースト川とハーレム川、北をスパイテン・ダイヴィル川(およびハーレム川運河)、南をアッパー・ニューヨーク湾によって囲まれている。幅は約4 km、長さ約20 kmで、ほぼ南北方向に細長い形状をしている。面積は58.8 km2で、東京の山手線の内側(約64 km2)にほぼ相当する。ー Wikipediaより引用

緯度は、日本の青森県に相当し、冬は結構寒いです。マンハッタン区には約160万人(2018年)が暮らしています。マンハッタン島を南北に走る道をAvenue(番街)、東西に走る道をStreet(丁目)と呼び、南にあたるロウワー地区をダウンタウン、中央のセントラル地区をミッドタウン、北にあたるアッパー地区をアップタウンと呼ばれます。

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私のニューヨークとの出会い

私が初めてニューヨークの地を踏んだのは2002年6月です。デトロイトへ赴任して2週間位たった頃です。急にニューヨークで会議が設定され、引継中だった前任者の予定がつかず、勉強も兼ねた私一人で単独出張しました。

渡米するまで、ニューヨークに特段の憧れはありませんでした。2002年から2005年までの駐在期間中に、プライベート含めて30回位は訪れました。不遜で反感を買う言い方ですが、当時の私にとって、ニューヨークは、仕事でよく訪れる出張先の1つに過ぎませんでした。

ただ、初めてのニューヨーク体験となるこの時だけは、緊張し、興奮もしていました。乗った飛行機がラガーディア空港へ向けて下降を始めた時に、夕陽が摩天楼を照らす美しい風景が窓から見えました。この時の光景は、今でもよく覚えています。

空港からマンハッタンへ向かうタクシーの中から見る光景は新鮮で、「ああ俺は遂にニューヨークに来る身分になったんだなあ」と感慨深かったです。会議の後はそのまま会食(日本食だった)した記憶はあります。緊張していたので状況はよく覚えていません。

慌てて準備して決めた出張だったし、当時は地理もわからないので、ホテルはUSD200以下の部屋を旅行代理店にお任せして取ってもらいました。地図を頼りに会食場所から徒歩で辿り着いたと思います。マンハッタン島のミッドアイランド地区にあるホテルなので仕方ないのかなと思いつつも、アメリカ特有の広い部屋を期待した私には随分古くて狭い部屋だなあと思った記憶があります。

後で知ったのですが、その夜宿泊したホテルは『ウォルドゥーフ・アストリア・ホテル』でした。多くのセレブが御用達の由緒正しき名門ホテルで、金曜日の夜にこのレートで泊まれたのは当時でも破格でしょう。911の影響でニューヨークへの旅行客が少なかった時期ですし、突然のキャンセルでもあったのかもしれません。

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ニューヨークの思い出

デトロイトからニューヨークへの出張は、日帰りが基本でした。朝4時に起きで、行きはデトロイト空港6:10発、帰りはラガーディア空港19:00発のノースウエスト便をよく利用しました。ノースウエスト航空はその後デルタ航空に合併されましたが、デトロイト国際空港はノースウエストのハブ空港で、空港内の移動や乗り換えが便利でとても思い出深い空港です。

冬の朝に除雪作業が不十分な高速道路をノーマルタイヤ(スノータイヤは一般的ではなかった)で走るのはなかなかスリルがありました。デトロイト市の地下には巨大な塩の塊脈があり、道路に撒く塩は豊富だったのです。

ニューヨークでの実働1時間の会議に一日がかりで出張するのは、仕事が多忙な時期は苦痛でした。また、シーズンによってラガーディア直行便の飛行機代がべらぼうに高くなるので、ニュージャージ州のニューアーク空港を使うこともありました。

朝ご飯に売店のドーナツとコーヒーのセットを買ったり、当時はセントラルステーション近くにあった紀伊国屋書店で日本の本を買ったり(かなり割高でした)したのは懐かしい思い出です。

仕事以外で、妻と2~3回プライベートで旅行に行きました。このnoteを書いている内に幾つか思い出しました。

週末私にニューヨーク出張があり、それに便乗する形で妻が後からニューヨークに来ることになりました。夕方にラガーディア空港に迎えに行く時、時間に余裕があったので費用を抑えようと地下鉄とバスを乗り継いで向かったら、ハーレム地区のえらく物騒なエリアを通って到着。バスの車内ではビビりまくりでした。
妻の希望で、トム・ハンクスとメグ・ライアンのニューヨークを舞台にした映画「ユー・ガット・メール」に出てくるカフェに行き、玉子サンドをオーダーしたつもりでいたら、私が嫌いなナスのサンドイッチが出てきて驚きました。eggplantという単語を勘違いしていたのでした。
ダウンタウンにあるキャッシュオンデリバリーのバーに二人で興味本位で入ったら、客は友達同士ばかりで騒いでいて、最初は「何じゃこいつら」という感じでした。その内、話しかけてきたおじさんと仲良くなり、奢ってもらいました。

アメリカ駐在から帰国してもう15年になります。その間も数回日本から出張で行く機会はありましたが、帰国してからの方がまた訪れたい気持ちに駆られる街です。世界の首都は伊達ではありません。

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