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山岳遭難から感じた人生との共通点

本日は、偶然目にした山岳遭難に関するネット記事からヒントを得て、自分の意見を膨らませてみることにします。

遭難からの生還は運次第

山で遭難して生還できる人とできない人をわかつ運命の分岐点は、究極的には運次第なのだという話でした。パニックにならない精神の強さ、絶対に助かるという執念、正しい選択のできる冷静な判断力、など属人的な資質が生還の確率を上げるとは言えるものの、それら資質を兼ね備えていても助からなかった事例は枚挙に暇が無いし、逆に非常識な行動を取り続けたにも関わらず、無事に生還できたケースもあるようです。

ただ遭難時に生還できる確率を確実に下げる原因はあって、それは遭難した際にすぐに探してもらえなかった場合なのだそうです。周囲の人々に詳しい登山計画を伝えず、登山届も出さずに単独行動で遭難すると、救助したくてもどこを探していいのかわからず、捜索に入るまでに時間も労力もロスしてしまうということです。

また、遭難理由の多くはルート間違いで、それは殆どの場合下山時に起こるそうです。きちんと登山道が整備されたルートでも、誤って脇道や獣道を進んでしまうことは上級者であっても犯してしまうミスなのだそうです。

『道に迷ったら、引き返せ』は山登りの鉄則と言われるものの、頭では理解していてもなかなか実行に移せずに、墓穴を掘ってしまうことも少なくないようです。引き返すという行動は、労力を二倍使ってスタート地点に戻ることを意味する為、心理的に積極的に採用しづらい選択です。「どこかに出るだろう」という楽観主義バイアスが働いて、そのまま進み続けてしまった結果、最悪の結末が待っていた、という遭難事例も多数あるようです。

人生にも応用できる戒め

この記事を読んでいて、これは人生の歩み方にも応用できそうな、示唆に富んだ話だなあと感じました。

幸せな人生を歩めるか、不運な人生を送るかは、結局の所、運次第の所があります。成功とか失敗とかは、運の巡り合わせ次第、紙一重だと感じる機会が増えています。資質にも恵まれ、勤勉で人間性も素晴らしい人が、人生の落伍者のような立場に甘んじたりする一方、破茶滅茶で人格破綻しているかのような人物が成功者として振舞っていたりします。準備万端整えて人生という山に挑んでも予期せぬ危険の連続です。

どんなに立派な取り組みを続けていても、世の中に広く関知され、正しく理解されていなければ、なかなか陽の目を見ることはありません。仮に一時的に注目を浴びたとしても、その状態を長く維持し続けることは至難の技です。

道に迷ったら引き返せ

そして、『道に迷ったら引き返せ』が非常に難しいのです。一旦決めて進み始めた道が、到底報われることのない茨の道だとわかっていても、人生の損切りはなかなか出来ません。「なんとかなるだろう」という楽観主義バイアスが存分に発揮されてしまい、泥沼に突き進んでしまうケースも少なくありません。

私も、知らない街で街歩きをしたり、クルマの運転をしている時によくそういう失敗をします。間違ったと気付いた時に引き返せば、傷は浅かったのに、と何度も後悔した記憶があります。人生でもそういう過ちを犯しているかもしれません。

人生の岐路で正しい選択ができる確率を高める為に知識を蓄える努力は怠れませんが、どんなに精度を高めても、運次第の部分は残ります。間違ったと感じた時は、それまでに費やした時間と労力を損切りして、スタート地点に引き返す力も大切だということでしょう。

もったいないから」という理由で人生の大切な選択をすると、往々にして後悔を生む、という話を最近聴いて納得しましたが、それにも通じるような話だと感じました。

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