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愛と欲望

本日は、この時期にしてはかなり暑い一日で、スタミナを消耗しました。本日は、『愛と欲望』というテーマの自由作文です。

愛 vs 欲望

『愛と欲望』について、私にとっては興味深いブログに出会いました。それは、数日前にネットで調べものをしている時に偶然辿りついたサイトで綴られていたものです。

通常、「愛」と「欲望」は、『愛と欲望の....』というように、並列的に使用されることが多いように思いますが、このブログでは、愛=善、欲望=悪 という対立概念として置かれていました。

ざっくりと要約すると、以下のようになるかと思います。(著者の意図を全て正確に網羅できている自信はありませんが)

愛は、他者を大事に思う気持ち、欲望は自分が利益を得ることを目指す気持ち、であり、人間の起こす行動のほとんどは、愛か、欲望か、どちらかから生まれる。愛は、他者のために何かをすることに繋がるので、幸せを呼び、欲望は、自分のために何かをすることに繋がるので、不幸をもたらす。

※著者は、別の教育に関するテーマを扱ったブログでは、「自由(善)と支配(悪)」を対立的に記述されておられましたので、二つの概念を対立的に配置して主張を展開される表現を好まれるのだと思います。
※言わんとすることを、できるだけわかりやすく伝えることが目的のため、誤解が生じる可能性があることも注記されています。

愛を軸に据える生き方は「あり」

このブログを読んで、「愛」を軸に据える生き方は、「あり」だな、と思いました。書かれている内容に100%同意できている訳ではなく、疑問や反論したい気持ちも少なからずあります。自分の人生経験的には、(簡単に認めないでしょうが)「欲望」に搦め捕られている人の方が多数派だったし、私自身のこれまでの生き方が「欲望」に傾いたものだったという自覚もあります。そんな私が、いきなり「愛」に肩入れするのは、ムシのいいご都合主義に傾いている気はします。しかし、「愛」を意識して人と接することによって、(仮にその気持ちが相手には伝わらなかったとしても)穏やかな気持ちに浸れるような気がします。

著者も書いている通り、現代は「欲望」に忠実に生きる人も多いし、それが正当化される風潮もあります。自分の差し出す愛(善意)が、相手の欲望に都合良く利用される局面も多いことでしょう。それゆえ、「愛」に溢れた人に出会うと、嬉しい気持ちになるであろうことが想像できます。
「欲望」が渦巻いて疑心暗鬼な社会より、「愛」が根底にあって安心が保たれている社会で生きていたい、と思います。

ガツガツしないおじさんになりたい

自分の取り分やメリットばかりを主張する嫌なおじさんにはなりたくないなぁ、と思いました。一般的な意味での「欲望」を完全に捨て去ることは出来ないし、ナンセンスでしょう。著者が「欲望」と言っている内容は、「他人を利用する」「他人を踏み台にして自分の利益を確保する」行為を指すように思います。そういう卑怯な真似はしたくない、という気持ちは強くあります。

日本社会がなんとなく不穏な状況なので、適度な狡賢さを発揮しないと、うまく世渡りしていくことはできないのかもしれません。不利に働くとわかっていても、「愛」を失わない清々しい振る舞いをしたいものです。

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